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バチェラー4 #00

(C) 2021 Warner Bros. International Television Production Limited

はじめに

いよいよバチェラー4の放送が始まるということで、とっておきのズボラハックをシェアしたい。そしてちょっとだけ真面目な話もしてみたい。

天井プロジェクター

先月末、私にひとつの不幸が起こった。風呂に浸かり、上がったらギックリ腰になっていた。かれこれ10年ぶりだ。マジか・・・めっちゃ痛い。色々なことが頭を巡ったが、とりあえず合法的な休暇を過ごせるのでTodoに溜まっていた映画を消化しようと、以前から興味のあったプロジェクターを購入することに決めた。

プロジェクターは価格も機能もピンきりで、選ぶことが既にズボラにとってはハードルが高かった。しかし今回こそはと色々調べていくうちに、プロジェクターを壁面ではなく、天井に投影させているというレビューを発見し、腰に衝撃が走った。マジか・・・めっちゃいいやん・・・。そのまま、あれよあれよと天井に投影できる安いエントリーモデルを購入してみたが、これが思いの外素晴らしい体験だったのでおすすめしてみたい。

天井投影は、白い壁紙なら布を張らずにそのままの投影でも特に問題はなかったが、木目などの家屋の場合はうまく映らないようだ。そして、意外とネックになるのは天井照明の位置なので、ベッドの位置と併せて確認しておきたい。このあたりはYoutubeにいくつか解説動画があるのでチェックしてみてほしい。

上記のモデルは静音設計ではないため、多少音が気になりはするが今は慣れた。枕元にドンと床置きして使っている。音声も特にこだわりがなければプロジェクターからで十分だろう。上記のセットは、とりあえず手軽にズボラに動画を観たい人におすすめで、音声や映像に高品質を求める方には向いていない。

※11/26(金)からブラックフライデーセールが始まり、プロジェクターは¥2,500割引&FireTVstickは半額になるので、1万円ぐらいでどちらも揃う。お試しにはいいんじゃないだろうか。

そして、この天井投影は、高齢だったり障害があったりで寝返りや一方向に姿勢が保ちにくい方にも楽だろうと思う。横向きに寝ても天井は結構視界に入ってくるのでそう不便がない。多分ゲームをする人にも天井投影ってめっちゃ楽なんじゃないだろうか。寝っ転がるって素晴らしい。さぁ、だらけた姿でバチェラーを視聴しようではないか。

リアリティ・ショーのレビューについて

我ながらちょっとウザいだろうことを書く。昨今の皇族の婚姻に対するメディアや一部の人間の反応に危機感を持ったからというのもある。説教臭くて嫌なのだが、誰も書かないので仕方ない。犠牲者を出さないためだ。

私がリアリティ・ショーを観る理由は、人間ウォッチングと直観による予想の的中具合を確かめたいというのがある。まぁ、下世話な好奇心だ。このショーは人間をエンタメとして消費しているし、見る側は加担している。まずはこの自覚が大切だろうと思う。だから視聴にはマナーが必要だし、私ごときでは僭越だが提案してみたい。

日本では、ほとんどの者がまともな人権教育を受けていない。個人として尊重された体験がないため、自分と他者を連続して捉えがちで、他者を他者として尊重することができない者も多い。これらは全面的に教育に問題があり、あなたには何の責任もない。知らないことは、知ればいい。他者を尊重するのは、思っているより簡単に始められる。

属性への言及をやめませんか

属性=(今すぐには)変えられないもの選べないもの」と考えるとわかりやすい。国籍・人種・出自・性的指向・容姿・年齢・性格などである。この並びで勘がいい方は気づいたかもしれないが、これらのマイノリティは差別につながりやすい。仮にあなたが否定的な文脈で言及した意識がなくとも、その属性を持つ受け手にとっては、生まれたときから何千回と指摘され疲弊しきっている属性への言及であり、マイクロアグレッションとなりうる。あなたのさりげないつもりの一言が心を折る最後の1回になるかもしれない。

リアリティ・ショーのレビューやコメントで特に気をつけたいのは容姿への言及だ。結論から言うと「やめておけ」だ。日本にいると日常的にルッキズムにさらされているため麻痺している者も多そうだが、国際社会では不要な文脈で容姿に言及することは許されず批難される。

褒め言葉ならいいんじゃないかと思うかもしれないが、それもNOだ。受け手にとって褒め言葉とは限らない。「美しい」という言葉にさえ傷つく者はいるし、ルッキズムへの加担に落胆する者は多い。身長の高低も美醜も体重も、本人はとっくに自覚している。あなたが1万回目に凡庸な指摘をする必要はない。変えられないことに対して、必要もないのに言及するのは罪深いことだと知っていてほしい。

属性とは反対に、「思考と態度」は自分で選び、この瞬間にでも改めることができる。この最果てのブログに集う者達だけでも、そんな人間性の発見こそを楽しみ、シェアしていけたらと思う。

我々は完全なる部外者

前回のバチェロレッテ、そして、皇族の婚姻にまつわるコメントで一番気になっていたのが、「~すべき」という表現だ。そういったものを見るにつけ、私は「お前は一体何様なんだ」と思っていた。

彼らの人生の登場人物でもない完全なる部外者が、彼らの人生や選択に責任を持てないのに口を出す。この滑稽さには乾いた笑いしか出ない。彼らのことは、私達には関係のないことだ。

もしあなたが、無関係である他者に対して「~すべき」と安易に発言できてしまうなら、あなた自身も理不尽に自分の意思を尊重されずに扱われた経験があるのではないだろうか。そしてあなたは、部外者からのそのような発言をこの先もずっと許していくのか。大切なあなた自身を、部外者ごときに軽々しく扱わせてはならない。あなたの思考も選択も、誰も奪えないあなた自身だけのものだ。

この家父長制社会で、私達は個を尊重されずに成長する。同調圧力の支配は小学校の教室から既に始まり、そこで自分を殺して同調することに慣れてしまった者は、自分を他者の延長で同調させるように、他者さえも自分の延長だと勘違いしがちなのではないだろうか。しかし、他者は他者だ。異なる背景や属性を持っているし、当然異なる考えを持っている。まずはこの絶対的な切り離しが必要だろう。

バチェラーは過酷なゲームだ。たとえ最終的に大団円に収まろうとも、途中経過では必ず人を傷つけ、そのことにまたバチェラーも傷つくだろう。そんな彼らの選択に「否」を唱えることなど絶対にできない。ただ寄り添い推察するのが関の山だ。

言葉は贈り物なのだろうと思う。時を超え、空間を超える。本人にも、その家族にも、そして彼らと同じ属性を持つ者にも届く可能性がある。SNSに良い言葉が連なることを願っている。

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※画像は全て、Amazonプライム・ビデオ公式とWarner Bros. International Television Productionより拝借しています。

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