仕事

公務員に憧れの上司なし

地方公務員生活において、私はただの一度も、憧れの上司を得たことがない。今日はその話をしようと思う。

俗に、地方公務員の世界はジェネラリストを育てているため、専門分野を持つような突き抜けた人材が育ちにくい~云々はよく言われている、が、ここで言いたいのはそのような単純な話ではない。

以前にIT企業で働いていたときは、到底自身では届かない知識・技術を持つ先輩社員に囲まれ、「居場所がなくなる!」という思いで、眩しい先輩達に追いつくべく、必死に最新技術の勉強をしたものだ。

しかし、お察しのとおり、公務員にはそのような必要がない。できなければ、「できません」と恥ずかしげもなく言ってしまえる職場なのだ。もちろん、異動の多い公務員にとって、知識に不足があるのは仕方ない側面もあるが、問題はそれを恥じようともせず、習得を急ごうという姿勢さえもないことだ。彼らは貴族だから焦ったりしない。組織の事情など関係ない客に対して、悠然と「異動して来たばかりで・・・ちょっと分からないですね」とのたまう。

力不足なのに焦らず、プライドだけは高い。このような職員に憧れたりできるだろうか。私には無理だった。輝く人材が存在しない、もう一つの大きな理由に、「昇進の掟」がある。日本企業にはよくあることだが、結局のところ、昇進するのは、問題を起こさない人間だ。調整力が高く、敵を作らず人に嫌われない者だ。おわかりだろうか、彼らは新しいチャレンジなど何もしなかった人間だ。憧れるわけがない。そして同時に、「改革しようとすれば割を食う」という組織の闇が透けて見える。

 

透明な評価基準がなく、仲良しを昇進させる人事制度。何人もの社会人採用が職場を去って行った。残った日和見人材に憧れるはずもない。また、今後入庁する職員も同様だろう。憧れの背中を見せてやれないまま、素晴らしい人材を育てていくことなど可能なのだろうか。

 

私は公務員を辞めたが、最後の彼らの態度は忘れない。人口が減り続け、産業もない田舎町で彼らは定年まで勤められると本気で思っていた。素晴らしい思考停止だ。悪いけれど沈む船に一緒には乗っていられない。その時がきたら、彼らは自分で立てるのだろうか。手を伸ばして掴むべき背中は田舎町に残っているのだろうか。私にはずっと別れの音楽が響いている。