はじめに
2021年4月、とある車椅子ユーザの投稿が波紋を呼び議論が活性化している。私自身も当事者として思うところや、シェアできる体験があるので、この機会に書いておこうと思う。
車椅子ユーザといっても、その身体的特徴は様々である。まずは前提を共有しておきたい。
- 当記事で引用している写真は、2004年に私と母(車椅子ユーザ)がオーストラリアを旅したときのもの
- 母は当時満58歳、私は20代後半
- 母は短距離は杖を使って歩くことができたが、痛みがあるために長距離は歩行困難。立ち上がり動作などはゆっくりと自力で可能であり、トイレ等の介助は不要。
- 当時の車椅子はYAMAHAの折りたたみ式・電動車椅子
母をオーストラリアに誘ってみた
2004年当時、私は相変わらずプラプラしていた。少し前にカナダから帰国していたが、カナダがあまりにも寒かったので、今度は暖かい国でスキューバダイビングをしたいと考え、オーストラリアの西海岸パースに向かった。なんで本場ケアンズじゃないの?って感じだが、「世界一美しい」だの「世界一住みやすい」だのと言われるパースが気になったのと、ずっと前にTVで見かけたピナクルズの景色が観たかっただけだ。行き先はこんな感じで気楽に決める。どうせ行ってみなければ分からない。
パースでシェアハウスに暮らしながら、旅行社でバイトをしたり、ダイビングのライセンス取得をしたりと、のんびりとワーホリ生活をしていた。
2004年とは、海外生活時に携帯電話を所持する者はまだ少なく、私も契約していなかった。シェアハウスには回線がなかったので、情報を得るにはネットカフェに行く。もちろんスマホもなく地図は紙だ。英語力について、私は相変わらず微妙で、母は皆無だった。
当時の母の身体的な状態は先に示した通りだが、精神的な状態もあまり良くなかった。母親はかなり若い年齢で車椅子ユーザになっている(歩行能力については、その後回復したりと紆余曲折)。それに加えて、父との生活に相当の疲労を感じており、また更年期でもあった。
ここは少し特殊事情がある。私の父(彼女の夫)は、ASD(未診断)であり、母の心身ケアなど到底できない。母には長年積み重なったものがあり、当時カサンドラ症候群であったのではないかと推察する。ついでに言えば、この頃、まだ世間にはASD(アスペルガー症候群)の概念が浸透しておらず、私にも知識がなかった。そのため、父を定義することもできず、ひたすらに難しく、理解できず、通じなかった。この徒労感と葛藤は凄まじかった。この辺りは、また機会があったら書きたいと思う。
とにかく、彼女は外出機会も減って、よく「虚しい」と言っていた。そんな母に「オーストラリアに来る?」と聞いたのがきっかけで、結局オーストラリアに1ヶ月程度滞在し、うち2週間程度は国内旅行し、残りの日数はシェアハウスを拠点に近郊へ小旅行したり、普通の生活をした。
車椅子、ひとりで空を飛ぶ
私の母は度胸がある。単独での海外旅行は初体験だったが、「来い」と言ったら、ひとりで来た。彼女は私から見ても感受性が特段に豊かだが、それが海外生活ではかなり有利に働く。母は英語を話さないが、聞ける。どこまで言語的な意味を理解しているのかは不明だが、「感じて」「応じている」のだからそれでいいのだろう。物怖じせず、誰とでも話す。得意なのは赤ちゃんだ。内向的な私とは対極に、母はとても人が好きだ。
オーストラリア国内の旅行は全て個人手配した。インディアンパシフィック(寝台列車)の予約だけは、障害者用キャビンを確実に抑えたかったため、当時アルバイトしていた旅行社に代行してもらった。この際、特に証明書のようなものは必要ない。加えて言えば、私はワーホリビザ、母は観光ビザで滞在しているだけのただの外国人旅行者だが、それを問われることさえなかった。
旅はパースからシドニーまで、インディアンパシフィック号(3泊4日)での大陸横断から始まった。途中アデレードで列車の補給のために半日停車し、その間はバスで街の観光に出た。障害者用キャビンは一般客室に比べて広く、室内にシャワーとトイレが完備されている。寝台の向きも配慮されており、窓と平行に設置してある。そのため、日中はソファとなるベッドに横たわりながら車窓を見ることができる。母はゴロゴロしながら、野生のカンガルーがピョンピョンしているのを見てはしゃいでいた。
列車内の通路は狭いため、車内では細めの専用車椅子を使用する。食堂車などへの移動の際は、係の者がエスコートする。オーストラリアは国内で時差があるため、食堂車で時計合わせのセレモニーがあった。こんなところも新鮮な体験として、喜んでいたように思う。
シドニー到着後は、遊覧船に乗ったり、スリーシスターズの観光をした後、空路でケアンズに飛び数日滞在した。
ケアンズを旅程に入れたのは、覚えたてのダイビングにはまっていたからだけではない。母をサンゴ礁に連れて行きたかった。水の浮力を借りて体を自由にし、美しい海の世界をどうしても見せたかった。元々泳ぐことが好きだった母は、まんまとケアンズの海に魅せられ、以後、シュノーケリングにハマり、沖縄やテニアン(サイパン)を旅行することにつながった。
ケアンズの後は、エアーズロックへ空路で向かった。エアーズロックには大きく2つの山がある。一枚岩のエアーズロックと奥歯が並んだようなカタジュタ(通称・風の谷)だ。いずれも車椅子でアクセスできるよう整備されている。エアーズロックは原則登山禁止だが、風の谷は結構奥まで登ることができる。しかし車椅子での登山はできないので、母は待機となった。
こんなとき、私は遠慮しない。「この辺で遊んでて」と放置し、私は私で風の谷をひとりで堪能した。母は母で、珍しいトカゲを発見したとかで、車椅子でジリジリ追い詰めて写真に収めていた。YAMAHAの車椅子は小回りが効いて性能が良かった。私達はお互いに違うものを撮影し、経験をシェアした。
オーストラリアで様々な場所に行ったが、車椅子で入れなかったのはここぐらいだったと記憶している。正確には、この旅では船やゴンドラにまで乗っており、その際にどうしてもギャップがある場合やホテル前の階段などは存在したが、最初に述べたように母は少しなら歩けたことに加えて、周囲が自然に手を差し伸べてくれたため、ほとんど問題にはならなかった。
私は本人ではないので本当のところは分からない。もしかしたら「山に登りたくて登りたくて仕方なかった」かもしれないが、それでも彼女は、風景やひとりの時間を楽しめる穏やかさで私の帰還を待っていられた、ということだ。
同じことをするだけが、バリアフリーではない。できないことは当然出てくる。だがそれが、納得できる正当な理由によって不可能なのか、ただの怠慢なのかによって、受け取り方は大きく異なる。
巨岩群を前に、「そりゃこのツルツルの岩肌と角度を車椅子は無理よ」と思えることと、先進諸外国では当然のように実施されていることを、法整備までしておきながら、長らく現場がアップデートされない日本の駅の状況に「またか・・・まだか・・・」と思うことは違う。
バリアフリーではなかった場所
バリアフリー先進国と言われるオーストラリアも「最適化の途中」である。オーストラリアが楽園のように捉えられても困るので、残っていたバリアについて思い出せる範囲で書いておきたい。
ひとつは、ケアンズに連泊したホテルの玄関にスロープがなく、数段だったが階段を超えなければならなかった。母は階段をゆっくりと登り降りし、車椅子の持ち運びはホテルスタッフが毎度サポートしてくれた。今思えば、港からやや離れた位置のホテルを取っていたので、港に近い場所ならもう少し行き届いているかもしれない。私は完全に油断しており、この失敗以降、ホテル予約時に必ずスロープの有無を確認するようになった。プレッシャーをかける意味でも、市場があると認知させる意味でも、旅行予約時に必ずこれをやってみてほしい。
次に、ケアンズの森林公園へのアクセスが悪かったと記憶している。当時の写真を確認したところ、列車とゴンドラの乗り場は階段がある。
また、ピナクルズは奥に行くほど砂地になるため、途中までしか車椅子では乗り入れしていない。ツアーメイトが押してくれようともしたが、母はゆっくりと歩けるところまで歩いて散策した。砂地と車椅子の相性の悪さはどうしようもないが、実は砂地は痛み少なく歩ける場所でもある。母は股関節と膝に問題があったが、アスファルトを歩く場合に比べて痛みが緩和されるらしく、ビーチに行く際もゆっくりならば問題はなかった。
最後に、気球の乗船は杖を利用していることを理由に断られた。これはバリアというより安全上の配慮で、火災が発生したときに自力で走れない者は乗船できないらしい。ジェットコースターに身長制限があるようなものだと自然に受け入れ、代わりにケアンズで船から凧のように揚げてもらった。何かできないことがあったら、別の道を探せばいい。新しい出会いにきっと繋がる。
この旅は全般、公共交通機関と現地ツアーを利用している。電動車椅子が折りたたみであることも幸いし、全ての船・観光バス・列車に搭載可能であった。首まで支えるような重量級車椅子のナビを私はまだ経験したことがなく、このような場合の情報は残念ながら持ち合わせていない。今後の旅で発見があったら、またシェアしたいと思う。
肩越しの風景
昨今話題となった、車椅子ユーザが駅の対応について発言したことについて、思うところを述べたい。私はその当人のブログは拝見していない。必要がないと感じたからだ。聞こえてきた主張は至極正当なものだ。本人の属性が何であれ、態度がどうであれ、そんなものは一切関係ない。何なら、現場に居合わせていない私でさえ当事者として主張する。
日本のバリアフリー整備はずっと前からずっと急務なのに遅れている。私は同時に、歩道・自転車道、そして、信号機の整備も必要だと感じている。段差が多く自転車に轢かれそうになる歩道も、横断歩道で一旦停止をしてくれない運転手も、点滅が早すぎて渡りきれない横断歩道も、遠すぎる歩道橋も、もう心底うんざりしている。どこもかしこも、ベビーカーを押すこともない健常者男性をマジョリティとして設計されているのではないのか。来る超高齢化社会、そして、自動運転実現への最大の障壁ともなるだろう。本当にこの国はパラリンピックをやるつもりなのか?
なるほど、ベビーカーや車椅子を毎度受け入れていると、バスや列車に遅延が発生するかもしれない。しかしこれは発想の順番が逆だ。その時間は必要なものとして織り込んだ時刻表を組むべきではないのか。そのような寛容で余裕ある社会こそを我々は目指すべきではないのか。
当たり前だが、人間は皆死ぬ。そして、人間は皆歩けなくなる。それが絶命の5秒前か、数年前か、誕生からかの違いだ。なぜ、今回のことを自分ごとと捉えることができないのか。どうしようもなく想像力が欠乏した劣等な感性を持つ者には憤りを感じる。
この主張をされた車椅子ユーザの方は「肩越しの風景」を見ているのではないだろうか。後に続く者のことを、未来のことを憂いている。その上で「今、変える」という覚悟を持った発言と行動であろうと思う。私は連帯する。
オーストラリアで得たもの
オーストラリアの旅行は、母の精神面にも良い効果をもたらした。バリアフリーの世界に触れ、持ち前の冒険心が刺激されたようでもあった。ベースの部分に受け入れ体制があると、残りの少しの不具合はなんとか知恵と工夫と愛で超えてみようという気持ちになるものではないだろうか。パッケージツアー以外の海外体験が初めての母は、色々なものを見たがった。公園で子供と遊んでみたり、広いスーパーで珍しい食品を探したりと、何気ない日常的なことでも楽しそうだった。
裏を返すと、日本での現実は相当に厳しいものがあり、日本にいると、車椅子ユーザは卑屈にならざるを得ないのではないだろうか。まず視線が低いことに加えて、失政のためにバリアだらけとなっている動線に「すみません」「ありがとう」を何度も何度もカツアゲされながら進まなければならない。これはしんどい。
オーストラリアでの母について象徴的なエピソードがいくつかある。まず、横断歩道で危険を感じたことがない。必ず車が停まり、完全に渡るまで動かない。こんな簡単なことさえも日本は実現できない。きちんと停車する運転手がそもそも稀で、停車したところで渡り切る前にジリジリと動き出す事が多い。これが歩行者や障害者にとってどれほど怖いことかを理解していない。その数十秒を短縮したとして、一体何を得ることがあろうか。
次に視線があろう。オーストラリアでは誰もが自然に受け入れるため気にならない。色んな人がいる。不躾な視線はないが、温かい視線はある。パースの列車乗り場にはギャップがあるが、乗車と下車の際に、必ず周囲の人間が母ごと車椅子を抱えようとしてくれた。少し歩けるため辞退したが、再度車椅子に乗るまで見守っていてくれることが多かった。
最後に、バリアフリーとは関係がないが、母はオーストラリアで久しぶりにファーストネームで日に何度も何度も話しかけられる生活となった。呼ばれると嬉しそうに振り返る母を見ながら、私にはハッとする思いがあった。誰かの母でも妻でもない。ただ個としての存在を尊重される。こういった環境が母に与えた影響は大きい。そう、これらのエピソードは全て「人権」の核なる部分である。
お薦めの国内旅行3選
人権&バリアフリー先進国であるオーストラリアを是非体験してほしいが、日本国内にも素晴らしい場所はある。何かの参考になれば幸いだ。政治が動くことは当然だが、経済面から突くことで加速させることができる。ここに大いなる市場があると認識させることが大切だ。コロナが落ち着いたら機会を見つけて、是非バリアフリー旅行にチャレンジしてみてほしい。ここでは、障害者でも、高齢者でも、子供でも、母と同程度の動作ができる方を想定している。
1)沖縄・シュノーケリング
実はシュノーケリングは体が多少不自由でも、バディさえしっかりしていれば安心して遊べる。普段不自由を感じる事が多くとも、水の中では自由に動ける。水中では貝殻の擦れる音が響いたり、プカプカと浮いているだけでも楽しく、こう言っては何だが、トイレ問題も起こらない。
個人的にお薦めなのは、本島なら真栄田岬、離島なら石垣経由の黒島だ。真栄田岬は車で乗り付けてから、約20段ぐらいの階段を降りる必要がある。ビーチの右手側から岩の上を歩くことで、点在する水たまりのような場所を発見できる。そのお風呂のような場所に魚が閉じ込められているので、プカプカと浮きながら楽しめる。歩くのが辛ければ泳いでもいい。
黒島はフェリー乗船&海岸までの移動などアクセスが悪いが、潮の満ち引きによって大量の熱帯魚が閉じ込められるので、安全に色々なものを見ることができる。ダイビング経験があり腕に覚えがあれば、岩伝いに歩いて外海でシュノーケリングすると、凄いものが見られる。ここはかなりの透明度で、ダイビングスポットでもある。黒島に宿泊する場合は、必ず洋室があるか確認したほう良い。若い者はこだわらないことが多いが、高齢者や障害者に和室は負担となる。
シュノーケリングは誰でも手軽に始められるスポーツだが、障害者や高齢者をナビしようと思うなら、自分だけでもプロから講習を受け、装備を揃えてほしい。これらをカバーするダイビングライセンスを取ってしまうのもお薦めだ。シュノーケル・マスク・足ヒレ・ブーツの4点セットは、やや値が張るがダイビング用がいい。特に足ヒレのバックルは障害者にとっては完全に着脱できて調節できるものが望ましいので、夏でも体温調節のために必ずフリースが必要(健常者はボートダイビング以外不要)なことと併せて覚えておいてほしい。
2)阪九フェリー
大阪(泉大津港)~九州(新門司港)を往復する阪九フェリーをご存知だろうか。夕方出港し翌早朝に到着する。この航路の船は新造船でまだまだ新しい。内部はエレベーターもついて完全にバリアフリーで露天風呂や売店・食堂もある。
私はよくこのフェリーを利用して週末一人旅をしていた。酒とデパ地下料理と本を持ち込んで、情緒あるネットカフェとして利用していた。露天風呂で淡路海峡大橋を見て、呑んで寝て起きたら九州に到着している。1日遊んで寝たらまた大阪に帰ってきている。この眠っている間に動いている感じがたまらなく面白くて好きだ。フェリーの内部はワクワク感でいっぱいなので、子供も退屈しないだろうと思う。
2泊3日で行く場合は、あまり長期間家を空けられない方にもお薦めだ。17:30出港で翌6:00には到着する。初日は早めに仕事を終える必要があるだろうが、最終日は仕事に行こうと思えば行けるので、実質丸1日ということで予定を組みやすいのではないだろうか。楽しそうに女子会をしている姿を何度か目撃した。酔っ払っても帰るところはすぐそばだ。いい。
おそらく最強の利用方法は、逆の九州~大阪(ユニバーサル・スタジオ)~九州の往復ではないかと思うので、該当地域の方は機会があったら検討してみてもいいかもしれない。
フェリーは自家用車ごと移動することもできるし、利便性が高い。旅の選択肢として加えてみてはどうだろうか。
3)ホテル風曜日@北海道
北海道にユニバーサルデザインでつくられた素晴らしいホテル「風曜日」がある。ユニバーサルであるということがどういうことか、家の改築を考える際にでも一度利用してみてほしい。こだわりのない私が名指しする、数少ないホテルだ。
かつて可能であったことが不可能になるときは、誰でも落ち込み自尊心の危機を迎える。家族として寄り添うこともまた多くの葛藤や苦しみを伴う。人生でそんな時期を迎えたときに、このホテルのことを思い出してみてほしい。
さいごに
記事の最後に、素敵なYoutuberを紹介したい。車椅子ウォーカーとして活動されている織田友理子さんだ。彼女の冒険する姿からは勇気がもらえるのと同時に、発見が多い。彼女と同行者の視点を追ってみてほしい。身近に障害者がいなくとも、子供や年老いた親と旅行する際に必ず役立つ。障害者に優しい世界は、皆に優しい。私はそんな世界に暮らしたい。
簡単ではない方がいるのは知っている。それでも、この記事の最後はこの言葉で締めくくりたい。
「旅に出よう!冒険しよう!」