冬が来たので
12月に入り、冷え込むようになってきた。内向型にとって鬱はもはや友人のような存在だと思うが、大きな影響を受ける本格的な冬が来る前に、私自身の経験を少しシェアしておきたい。
私自身は冬生まれで、いわゆる早生まれの部類だ。統計的に誕生日はただでさえ自死が増えると言われている。冬生まれの内向型は特にこの時期が危ういので、苦しさで、もうどうにもならないと思ったとき、どうか与論島を目指してみてほしい。追い詰められていても、切れるカードをまだ持っていることを覚えていてほしい。
与論島との出会い
私はもともと一人旅が好きで、しんどい時に沖縄にヒョイと行くようなことは割とあった。数年前、かなり苦しかった時期に与論島を目指したのは、割としょうもない理由からだ。
その頃、私はジョギングやらウォーキングやらに興味があった。それもこれも、たかぎなおこ氏のコミックエッセイのおかげだ。彼女のゆるいエッセイはとても面白い。酒を飲むために走ってみたり、わざわざ遠征したりするあたりが他人とは思えなかった。そんななかで、与論島を舞台にした映画「めがね」のロケ地であるヨロン島ビレッジでの宿泊体験が綴ってあった回がある。
そこには、与論島でのお酒の飲み方や触れ合いなど、面白すぎることが描かれていた。正直、彼女のランに関する記述は一切覚えていない。いつか行きたいなぁと本を読んだ時点では思っていた。
「めがね」は私が元々好きだった映画で、このロケ地にそのまま泊まれることに興奮した。この映画を手掛けた荻上直子氏は、あの「かもめ食堂」の監督でもある。彼女のシリーズは疲れた心にゆったりと心地よく、おすすめだ。
そんな前提知識を持っていた、ある年の冬。誕生月に入るぐらいの頃に、妙な切迫感があった。非常に自分が危うい状態になっていると自分で分かった。心と脳から逃れるために、今すぐ飛び出してしまいそうな感じだ。鬱歴もそこそこあるので、今回の波が数年に1度レベルだということも自覚した。誕生日をいつもの場所で過ごすことが危険だと感じたため、突発的に職場に休暇を申し出て、3日間の休暇をぶんどっている。日程は誕生日を含む水曜~日曜の5日間で組み、私は与論島へ向かった。いつもの沖縄では足りない気がして、その時思いついたのが、「めがね」のロケ地しかなかっただけだ。
何もしない旅
実は与論島では、特に何もしていない。冬でシーズン外というのもあるが、海に入ることもなく、このときのテーマは「何もしない」だった。私はなんとしても自分を休ませる必要があった。
島の冬空は雲が多くハッキリせず、寒くはないが、風が強い。そんな中、ただぼんやりと一日中ビーチにいた。本と酒だけを持ち、海を見たり、本を読んだり、昼寝して過ごした。与論島のビーチには、ちょうど人が一人ごろんとできるような無数の岩の台座がある。シーズン外で他に誰も来ない。やや風はきつかったが、王様が使うような天然のベッドでダラダラと過ごした。厚めのバスタオルがあると重宝すると思う。当時読んでいたのは、「鹿の王(上橋菜穂子)」の下巻だが、展開と眼の前の景色がチグハグすぎて、さっぱり頭に入ってこず、ちょうど良かったんだか悪かったんだか分からない。眠くなるために読んでいたようなものだ。旅行中には読み終えたような気がするが、やはり文字を追っていただけのようで、心と脳が空転し内容は忘れてしまった。
港とホテルの距離感を掴んだ後は、ズボラながら、もっといいベッドがあるんじゃないかと思い、小腹が空いたタイミングなどで、買い出しのついでにちょこまか色々なビーチの岩に横たわった。どこもたいてい貸し切り状態だ。一度だけ自転車を借りて反対側のビーチまで行ってみたが、海の色が鮮やかで美しい割に、あまりよい寝床がなく、以降は港~ヨロン島ビレッジ間のビーチで過ごすことが多かった。
どうでもいいが、使い捨てのコップにミネラルウォーターで氷を作成しておくと、ウイスキーを飲むのにちょうど良い。私が編み出したとっておきのハックなので、是非やってみてほしい。
出会い
初日&最終日の半日がフリーだったため、実質丸4日間を与論島で過ごしている。こちらは何もする気がないが、それなりに面白い出会いもあった。これは偶然なので保障はできないが、これから目指す場合は、理由に関わらず是非一人で行ってみてほしい。こういう場所に初めて行く時は、一人で味わい尽くすのがいい。
ヨロン島ビレッジでの初めての夕食は緊張していた。私はあまり一人でレストランで何かを食べるということがない。苦手なので、そういう場合はファストフードか食事抜きになる。
しかし、この宿の丸いテーブルを囲むのは全員がおひとり様だった(笑)。もううろ覚えだが、年齢も様々な男女を含む4~5人で毎回食卓を囲んだように思う。実際滞在中に出会った人は、ほぼ一人旅だった。ハイシーズンでもないし、やはり呼ばれたように来ている者が多かったのかもしれない。
ある男性は、ドキュメンタリー制作の仕事を通じて知った与論島の死生観に興味があり、度々訪れているということだった。ある女性は、数ヶ月に一回来ないと持たないと言い、慣れた様子で何か謎の郷土料理を注文していた。内向性の強い私だが、実は初対面でも、相手の思惑を気にしなくていいような趣味や通りすがりの出会いは平気だったりする。与論島の習慣である振る舞い酒のおかげか、夜はずっとふわふわしていた。まぁ、昼から既に飲んでた。この与論献奉(よろんけんぽう)でいただくお酒はとても楽しいので、是非体験してみてほしい。
与論島で過ごす最後の夜、毎晩一緒に食事をとり軽く飲んでいたせいで、既に常連化している泊り客の数人で、焼酎の瓶を持って庭に出て星を見た。宿のスタッフの青年はギターを弾いて歌ってくれた。とても豊かな夜だった。
そのうち一人が「実は僕、今日が誕生日なんです」と言った。場が一気に盛り上がり、ハッピバースデーを歌い乾杯した。そして、次の誰かがタイミングを見計らって「実は私、昨日誕生日だったんです」と言った。場の熱が上がっていく。シャイなところがある私はちょっと嫌な予感がしていた・・・そう、翌日が私の誕生日だったのだ。こういう場合の3番手はやりにくい。もう皆2回ハッピーバースデーを歌ってるし、関西人としてはオチも気になる・・・一瞬迷ったが、酔っぱらいパワーでとりあえず「実は私、明日が誕生日なんです」と言ってみた。不安だったが、私の誕生日もちゃんと皆祝ってくれた。嬉しかった。逃れようとしたものを拾い直したような、そんな夜だった。もう誰の顔も覚えていないが、この夜の空気は今も胸にある。
与論島の人々
島の人々との出会いで面白かったことがある。ずっと食事の配膳やあれこれを差配してくれていた女性スタッフが、実は押しかけで厳密にはスタッフではなかった。なんか与論島に来たら好きになっちゃって、そのまま住んじゃったらしい。
その女性スタッフの方は、自分の家をヨロン島ビレッジの敷地内に建設中だとかで、今は宿泊客と同じホテルの客室に寝泊まりしているらしかった。面白すぎる。そして建設中の家はやはり島時間で進行しており、少し前に大きな台風に直撃されたことを受けて更に遅延していたが、「島の皆さんのお宅を優先しないとね」とにこにこしていた。
少し前に移住したという、ギターを弾いてくれた青年もまた面白かった。与論島にはウドノスビーチという場所があって、そこには人が腰掛けて海を眺められるようなところがある。(単なる流木だったかベンチだったかは覚えていない)
私は割とそこが気に入って、何度か足を運んでいた。それには理由があって、そのベンチには、通る度にやや大きめの綺麗な珊瑚の枝などが置いてあった。誰かの忘れ物かとも思ったが、ビーチの宝物には名前が書かれていないのをいいことに、ラッキーとばかり私はこっそりいただいていた。
何かのタイミングでその七不思議を彼に話したところ、「それ僕です」と言ったので驚いた。「そうやって持って帰る人がいるかな」と思い、せっせと海に入る度に運んでいたらしい。「わっ!」と思った。なんておっとりした優しさなんだろう。非常に残念だが、ドグサレ期だったので恋はしなかった。ただ、彼らのように与論島に新たに住み着く人たちが、皆とても豊かであるように感じ、それを受けてじんわりと私のなかにも島時間が訪れた。
島の星空
何日目の夜だったかは覚えていないが、私はランタンと懐中電灯を持って、ホテル近くの海岸まで一人で行った。あまり褒められた行為ではないが、自分なりの下見と危機管理をした上での行動だ。どうしても夜のビーチで一人きりになりたかった。
生き物として、私は単純に暗闇が怖い。そんな感覚が冴え渡っている状態で聞こえる波音は、迫ってくるようだった。砂に直接腰掛け、ランタンと海を交互に見る。波の延長で見上げる夜空には、多くの星が瞬いていた。こんな風に広い空で綺麗な星を見るのは何年ぶりだっただろうかと考えながら、とめどなく泣いた。この時の感情は覚えていない。ただただ、独り占めした星空が美しかったことだけを覚えている。
心が還る場所
ここまで書いてきたように、与論島は私にとって特別な場所であるだけで、実のところ何か客観的な指標で随一という訳ではない。美しいビーチは他にもたくさんある。しかし、今後何かあれば、私はやはり与論島を目指すだろうと思う。この島が私の心を晴れ晴れとしたものに変えたわけではない。私はただその年の危うい誕生日を生き延びただけだ。苦しさは旅の後も常に傍らにあり、減ったのかどうかさえ分からない。それでも、何か別のものを持って帰ったような、置いてきたような感じがある。それを受けて、たった一度しか訪れたことのない島は、究極の主観で私にとって意味のある場所となった。
あなたにも、そんな場所があればいいなと思うし、これから見つけてほしいなと思う。心を休ませることのできる場所があるというのは、それだけで心強い。ひとまず、今すぐ何処か思いつかないなら、その時は与論島を目指してみてほしい。
与論島に私はいないが、岩にあたって砕けるしずくは私の涙だし、冬の鈍い雲は当時の私の心そのものだ。素足に馴染む複雑な砂の文様は、そのままあなたの心のヒダだろう。そんな苦しいときに、少しでも寄り添えたらと思う。