レビュー

映画「北朝鮮をロックした日」

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【感想】★★★☆☆(56点)

概要

北朝鮮の記念日に、スロベニア(旧ユーゴスラビア)で任期のカルトバンド「ライバッハ」が招かれる。そこで舞台を作り上げていくという混沌。

感想

これは、予告編で爆笑して視聴したものの、やや冗長的で中盤は退屈でもある。が、見どころもある。「北朝鮮潜入」みたいな映像とは一味違うので、視聴するのも良いかと思う。行儀が悪いが、ながら観がいいんじゃないかと思う。

正直、レビューを書くか迷うぐらいの映画だったのだが、ひとつだけ発見があったのでシェアしたい。

北朝鮮の舞台・音響エンジニアや会場スタッフの働きぶりが面白すぎるのだ。そして、日本の働き方と相似点も多く、デフォルメして見せつけられているような感覚があった。

北朝鮮側とライバッハ側との意思疎通が難航し、さらに上役への確認が多く作業も次々と遅延していく。もはや忍耐力テストのようになっている準備の最中に、ショーの全ての監督者である男性はこう言っていた。

「彼らは一切自分で判断しない。それが危険であると知っているんだ。たとえトイレットペーパーひとつの色でさえ自分では決断しない。必ず誰かに確認をして、全員の合意を取ろうとする」

これは、鋭い指摘ではないだろうか。私は日本の職場には裁量権がなさすぎるといつも感じているが、実はその状態の方が好きな人の方が多いのだろうか。これはかなり新しい発見であった。

そんなに自分では決めたくないのものなのか。嫌味でなく、本気でこの感覚が分からないので、そういうサンプルを今度見つけることがあれば色々質問してみたい。一瞬で嫌われそうだが。

また、少しでも懸念材料があれば、中止を進言する北朝鮮側のコーディネーターや、迷った時は必ず問題がない方向に倒した判断をするのが印象的だった。

そして、押しなべて北朝鮮の人々は私語をしない。たとえ北朝鮮人同士であってもだ。出演する音楽学校の女生徒達も、話をすることなく、ただ静かに手を繋いでいた。どこに盗聴器があるか分からない。そのように寄り添うことしかできないのかと深く感じるものがあった。それらの異様さとは裏腹に、開演後にステージを見つめる目は様々であった。

新しいものに触れた時、それがどんな状況で迎えたものであっても、何かしら影響しあっていることに交流の希望を感じた。是非この表情は映画で確認してみてほしい。