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あいの里 #03

はじめに

今回はepi13-15についてのレビューとなります。(epi01-08,epi09-12のレビューはこちらから

一週間という配信の隙間は、人をワクワクさせることもあれば、「続きはどうでもいいか」と白けさせてしまうこともある。ここ数日の空白で私は妙に冷静になっていた。

「今週もみんな元気やな」とどこか遠い物語のように感じつつ、そう言えば久しぶりに地上波の深夜番組を見ているようだとふと思った。今回は人物についてはサラッと流しつつ、リアリティショーの舞台設定について思うところを書いてみたい。

古民家のみなさん

中さん

今週最も印象深かったのは、中さんのアップダウンだ。まぁ、「娘への教育上問題がある」と正気に戻ったところは良き。死に別れをした本人はどうあれ、その人を選ぶというのは結構勇気が必要そうだなと回想を見ながら考えていた。心に残したものと歴史があまりにも重い。

再婚は、娘二人が初恋というイニシエーションを済ませて、ある種の潔癖さが抜けた後がいいんじゃないかと老婆心ながら思った。

トモちん

第一印象は空気の抜けた工藤静香で、どこから声が出てるんだろうと鼻と口と喉あたりを見ていたら登場シーンもあっという間だった。常人とは異なる腹筋でもあるんだろうか。かなりの出遅れ感があるが、せっかくなので爪痕を残せるよう頑張ってほしい。

沼ぴぃ

ほんわかした雰囲気で現時点では未知数。不倫の話について、私は相手の子供が3人という部分さえ、本当なのかなぁと意地悪く考えていた。終わり方から逆算すると、それは単なる予防線であったかもしれないし、披露宴という出会いも、一定の社会的立場を持つ、家庭を壊そうとは考えなさそうな彼のような存在を狩りに来ているような気もする。そんな彼女に今でも一番会いたいのだと断言する彼にとって、恋とは、あいの里とはどのような位置づけなのだろうか。

アンチョビ

トッちゃんの告白相手が自分だと勘違いしていたとは、どこまで本気の話なのだろう。ユキえもんとのキムチ事件も、彼の勝手な盛り上がりと切り捨てが「なんじゃそりゃ」案件だったが、これを見ているとやっぱり彼は本気で思い込んでそうだなぁ・・・と、またちょっと涼しくなった。

みな姉

彼女が穏やかに話しているとホッとする。彼女が恋とパートナーを切り離して考えているのは個人的にも共感できるが、ここで私はふと思ってしまうのだ。「ならば、パートナーが異性である必要がないのでは・・・?」と。ユキえもんと阿佐ヶ谷姉妹になっても、それはそれでハッピーな気がする。

ユキえもん

元気にしているだけで場を明るく照らすような彼女が、本気で恋をしたときにどんな表情をするのかを見てみたいが、もう間に合いそうにないのが残念だ。

ゆうこりん&たあ坊

良かった良かった。何ひとつ解決しないまま、ふんわりまとまったのが、現代的でもあり、番組的でもあり、特に感慨はないが良かった良かった。年に18回の奴隷労働は厳しいが、きっとケータリングサービスもあるだろうから、慣習は勇気を持って打破すればいいんじゃないかと思う。

竹のキャンドルアートは綺麗だったが、この計画性があるならアヒル小屋は何やったんや・・・とは思う。向き合う時間ではなく製作時間に全振りした男、たあ坊。個人的にはそこを微妙に感じたし、ゆうこりんの全開にはならない感情表現にも同情しながら、「鐘に蜘蛛の巣張ってんな」とか余計な事ばかり考えていた。

あいの里では、ビーズアクセサリーや竹アートなど、物資の乏しさからか学生の文化祭のようなショボさ全開の贈り物が登場するわけだが、これがなんだか、恋愛のスピード感と相まって共感性羞恥を呼び起こす。受け取る方も、ちょっとキツかったりしないんだろうか。

私なら何もないならないで、豊かな自然のなかで、いつもとは違う時間の流れを共有したい。青い春の空気を縫い留めるような言葉をひとつ贈ってほしい。この夜の星の配置をどうやったら二人で覚えていられるか、そんなくだらないことを話し合っていたい。

繕い裁つ人

今回配信された3話を見ながら、私はぼんやりと他のことを考えていた。古民家DIYという設定がすっかり無視されてしまったような映像のせいでもあるのだが、この日常の延長のような舞台で、直滑降のような角度で恋にダイブしていく人々がやっぱりすんげー不思議なのだ。みんな恋愛に対するガッツあるなぁと、そりゃ恋愛リアリティショーに応募するなら、そういうタイプが集められているから当然なのか・・・と思いながらも、ノリについていけない私はやっぱりぼんやりしていた。

ここまで没入できないのは、MCの副音声とテロップが頻繁に現実に引き戻すのも一因かもしれない。場面を分けずに侵入し続ける彼らの意見が私にとっては邪魔で、どうにも自分自身単独で感じきれない。編集によって一方向に解釈が誘導されすぎているし、押し付けがましい。

そしてもう一つ、絵面が日常的に過ぎるのではないかと、随分前に観た映画「繕い裁つ人」を思い出しながら考えていた。この映画には、年に1度開催される大人だけが盛装して参加できる秘密の夜会が出てくる。普段、阪神タイガースの勝敗で喧嘩をしているような夫婦が、優雅な紳士のようにスーツを着こなして誘ったかと思うと、美しく装った婦人がたおやかな手付きで受ける。この非日常の男女の儀礼的な振る舞いと緊張感、これがあいの里にはない。これもまた、強烈に現実に引き戻す要因なのではないかと思う。

別にそれが悪いというわけではないし、ジェンダーを強化するような儀礼的な男女の振る舞いを疑問視するのも当然だと思うが、こと恋愛において、それが共通のコード、プロトコルになっているのも事実だ。

いきなりセックスや過去の話で始まるような生々しさのなかで、相手を男性、女性と意識して恋愛ができるのかなぁと純粋に思う。私はそのように始まる恋愛を経験したことがないが、仮にそのような話題を振られたら「侮られた」「性急すぎる」と不快に感じる。恋に対しては、適度な緊張感を持って、見栄を切った誘惑をされたいという思いがある。

現実と幻滅を直視するのがミドルの恋愛だと言われてしまうと何も反論できないが、「そりゃ妥協とは違うモノなんで?」とこっそり聞いてみたくもなる。結局、あいの里の目指すところと正解が何かはわからないが、ミドルたちの何か美しい感情があるなら見てみたかったと思う一方、たとえそれが愛であっても、一緒に老後を支え合うことが前面に出ているような関係性は、理解できるもののエンタメとしては受け止めきれず、このような形では二度みたいとは思わないというのが正直なところだ。

日韓リアリティショーの差

地上波・深夜枠のような本番組であるが、その実は2023制作の完全Netflixオリジナルである。Netflixと言えば、話題になるのは制作費の潤沢さであるが、あいの里はどうだろうか。

DIY要素が消えてしまった現在、恋愛リアリティショーの舞台が古民家であるというのは素朴も素朴である。100年前を想起させる牧歌的な風景は、皮肉にも斜陽国家ジャパンを正確に写し取ったようにも思えるが、あまりに地味であることは否めない。私はここでふと思った。「制作費、どこ行った?」と。

先の東京オリンピックで明らかになったのは、ヘルジャパンにおける中抜きの実態であったが、そのお家芸を疑わずにはいられないほど、あいの里はショボい。カップルになって里を去ると、浮いた制作費でご祝儀ボーナスが出ているんじゃないかとゲスな勘ぐりさえしてしまう。ある程度リズミカルに事件が起きるよう誘導した方が撮影期間も制作費も安く上がるわけで、色々セコい日本のメディアが今更しっかりドキュメンタリー性を担保して撮影するのかという気もする。

仮にこれらが杞憂であった場合、状況はさらに悪い。本気でこのセンスでリアリティショーを制作しているのであれば、もはや致命的であると言える。聞くところによると、あいの里は地上波で人気を博した「あいのり(初回放送は1999年)」の系譜を継ぐショーらしく、なるほど、これは20年前のセンスで制作されたのかと合点がいった。

脱出おひとり島

比較の一例として、まず韓国が制作した「脱出おひとり島」を挙げたい。人間観察としてはありふれたショーだなと思うものの、ロケ地・ゲーム性・人物に関してはぶち抜けており、全世界で話題になったのも理解できる。

まず、韓国はこのショーが世界展開されることを理解して制作している。あいの里のように、古参ファンを喜ばすだけのような内輪ノリで作っていない。美しい自国の無人島と、ラグジュアリーなホテルを舞台に恋物語が展開されるショーは、観光プロモーションもバッチリだ。あいの里の世界発信によってもたらされるのは、悲しいかな「急激に貧しい国になっていく」という日本のイメージの固着ではないだろうか。

また、是非はともかく、ルッキズム全開の脱出おひとり島は演者の完成度がとても高い。友人に「絶対タイプの人がいるから、追加投入されるまで我慢して見ろ」と薦められてシーズン2を観たところ、魔性の男性が登場しており、キャラの濃厚さとバラエティにも驚いた。いや~、彼は若いうちにハマっておくべきタイプというか、幸せにはなれないと分かっていても抗えないというか、とにかく魔性なのだが、ここまで雰囲気のある人を日本のリアリティショーで見たことがない気がする。

韓国を旅したとき、ちょっとした街中の鏡でも身だしなみをチェックする人々をよく見かけた。非常に美意識が高いというのか、「見られる」を意識した国民性なのだなぁと感心したことがあるのだが、特に若い世代はさらに一歩進んで「魅せる」ことにも長けているように思える。これも個人の魅力で引っ張るリアリティショーにとっては重要な要素だ。

フィジカル100

韓国制作でもうひとつ視聴したショーが、「イカゲーム」を彷彿とさせるような舞台で身体能力を競う「フィジカル100」だ。前半は人数が100人もいるうちから個人戦になるので、モッタリした展開でダルいとも思ったのだが、ゲーム要素が強くなってくる後半が面白い。

私はとにかく、その舞台設定とお金の掛け方、そして、オリジナリティに驚いた。韓国はもうここまで来ている。ドラマだけではなく、リアリティショーにおいても世界で通用する独自のものを制作しているのだ。

今後、少子高齢化によってマーケットが急激に縮小する日本では、韓国のように世界に訴求できる作品を世に送り出す必要がある。果たして世界の人々は、あいの里を再生しようと思えるのだろうか。

日本の頼みの綱であるアニメも、ロリエロばかりが強調されてそのままでは放映できない国も多い。今後、AIの活躍によって言語障壁が即刻取り払われるだろう配信プラットフォームにおいて、世界と同期できないコンテンツに未来はあるのだろうか。

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