リアリティショー

バチェラー4 #02

はじめに

今回は、epi04-06視聴後のレビューとなります。(前回epi01-03のレビューはこちらです

皆さん、元気に白目剥いてますか。もはや書き始めてしまったレビューのために義務感で視聴しているようなところがありますが、思えば、バチェラーとはこういう番組だったのだなぁと改めて考えていました。

私は歴代のバチェラーでは2の小柳津林太郎さんが好きです。好奇心が強く、感情がとても豊かだったのを覚えています。対して、バチェラー1と3は、第一印象から一本道という感じでしたが、特に3はバチェラー自身が未熟すぎたのに加えて、女性陣が誰も恋してなければ、人間性も見えてこないという、個人的にはしょうもないコンテンツでした。

そして、今回のバチェラー4にも同じようなことを感じています。バチェロレッテが特別だっただけなのに、勝手に連続性を期待してしまった自分が甘かった。

今回は、バチェラー4における「つまらなさの正体」「言葉の軽さ」「性的同意」などを軸に書いてみたいと思います。

つまらなさの正体

このコンテンツを楽しめる者もいるだろうし、それは否定しない。ただ、私にとってみれば、バチェラー4におけるやり取りは、恋愛エッセンスを加えたコンペティションの薄っぺらさしかない。私は個々の人間性や、心の動く瞬間の表情がもっと見たい。そして、バチェラー3のデジャブ感が強く、今後の消化試合にあまり面白さも期待できない。

私がつまらないと感じる理由のひとつは、黄皓氏の表情と感情表現の乏しさだ。やはり彼の表情はコントロールされすぎている。エピソード半ばに至っても主役である彼の人間性がそれほど見えてこないし、表情はかなり注意深く観察する必要があって疲れる。とは言え、これは本人の特性だし、悪いわけでもない。きっと感情を抑えた落ち着いた振る舞いはビジネスでは有利だし、安心感を与えることも多いだろう。今回、藤原望未氏への態度の違いが明確になったことで、初めて彼の振れ幅を確認できたように思う。あれを定規にすることで、色々なことが見えてくる。

そして、もっと大きな原因は、彼が今回、自分の感情にフォーカスして行動しており、相手の人間性を引き出してまで判断しようとは考えていないところだ。それ自体が悪いという訳ではないが、それだと女性陣の人間性が見えてこず、コンテンツ的に弱いというだけでなく、彼女達の人格や思考に興味がないのかという疑念さえ抱いてしまう。

もはや1本道となった藤原望未氏もまるでお人形だ。きっと彼女にも素敵な内面があるだろうに、それを表現する機会がないのは残念だし、彼女自身も、そこまでのやり取りがない中でのバチェラーの異様な盛り上がりに戸惑いがあるのではないだろうか。もし本当に顔が好きなだけなら、これほど女性を物格化し、馬鹿にしている話もないのだ。

そして何より、絶望的に会話がつまらないに尽きる。

言葉の軽さ

黄皓氏の会話は巧みである。千本ノックをしているのかと思うほど、的確に返す。しかし私は「この人との会話つまらなさそう」「本当にそう思ってる?」とずっと感じている。

なぜ自分が、 黄皓氏の言葉をペラッペラだと感じるのだろうかと、先週来お湯が沸く数分だけ考えてみたりした。誰かの言葉に重みがある・ないと感じるのは、まさに感性で、私のなかでは「今日は暑い寒い」というくらい自然に感じる。あえて言語化したことがなかったなぁと思いながら、他者へはどう伝えるだろうかと水栓を磨きながら考えてもみた。私はズボラだがきれい好きだ。

理由はきっと、彼の言葉に身体性が伴わないことと、彼独自の表現がないからだろうと思う。彼の発声にはあまり抑揚やリズム、スピードの変化がなく、感情が乗っていないと感じる。epi05の青山詰めの場面では不愉快の感情でリズムが変化しよく話していたのを覚えているだろうか。あれがきっと彼本来の振り幅だ。

黄皓氏は「自分が100のつもりで表現した言葉は、100のまま相手に伝わる」と考えているのではないだろうか。「真剣に向き合っている」とさえ言っていれば、観客はそのように解釈すると考えているのではないだろうか。しかし、そんなはずはない。我々はAIではないし、熱や真を伴わない言葉は、80にも60にもなる。逆に、普段感情表現をあまりしない彼が、わずかな怒りのオーラを噴出した青山詰めは200で伝わってきた。また、彼は人から「好き」カツアゲをするのが趣味のようだが、よもやその流れの「好き」を100で評価して安心してはいないだろうなと心配になる。

また、繰り返される両親や旅に挑む思いについての話は聞き飽きたと同時に、定型文のように感じている。こうした最高の打ち返し技術を持つために誤魔化されがちだが、彼の脳や心をしっかり通過し、向き合う相手の感情を汲み取り、共有した空間を通して返答しているような特別さや密度が会話から感じられない。ツラツラツラと、なんというか、小手先ワークなのだ。

そして、言葉の軽さを感じるのは彼に対してだけではない。主役が乱発する「好き」の価値が暴落しまくっている影響だろうが、女性陣全般にも感じる。加えて、私自身がバチェロレッテの世界観で生きていることもあるだろうし、彼らに非があるわけでも責めているわけでもない。きっと世の多くの方はこういう世界に馴染みが深いのだろうと分かっている。分かっているのだが、言葉を大切に扱わないことに私はやはり虚しさと世界への遠さを感じる。

一番疲れを感じたのは、「信じる」という言葉と「好き」という言葉の軽々しさだ

この言葉を私は滅多に使わない。特に「(あなたを)信じる」「(私を)信じて」という言葉は、自分のなかで最大限慎重に取り扱う部類だ。私が「信じる」を使うとき、必ず覚悟が伴う。日常会話でおよそ使おうとは思わない。

これは私がそうしているだけで、他者が使った場合、「その程度でこの言葉を使う人なんだな」と思うだけで、別に責めはしないし、範囲と定義が自分とは異なるのだと理解と調整に努める。ただ、AI同士がやり取りをしているのかと思うほどの空虚さであり、そう感じること自体は私には止められない。

カードゲームの余波

(C) 2021 Warner Bros. International Television Production Limited

待機中の女性達で暴露ゲームが行われたことで、この一連の流れにシナリオの存在を感じた。私自身はあの夜の真偽はどちらでもいい派なのだが、一点気になる。中野綾香氏には、このゲームに参加しないという選択肢は与えられていただろうか。グループデートもあるような環境で旅を続けるのなら、女性同士の関係性も重要になってくる。明確に渦中となることに積極的だったようにも思えず、彼女にとっては酷な展開だったなと思う。そしてきっと、この仕組まれたような展開にも、撮れ高のために自分が利用されているかもしれないと疑念が湧き困惑したのではないかと思う。

キスと一夜のことを聞いた直後の皆の表情はリアルだ。コロナ禍での撮影ということもあり、あまり想定していなかったのかもしれない。だからこそ桑原茉萌氏も特別感を持って受け止め、ショックが深かったのではないだろうか。彼女と黄皓氏が最後の対話をするなかで、黄皓氏の目が冷めていくのは分かりやすかった。早とちりは完全に彼女のミスだが、それをちゃんと謝れたことや、自己分析したうえで「他の女の子を傷つけないでほしい」と意思を伝える姿勢は格好良かった。

彼女を含め、おそらく全員が、この件をきっかけに「疑似恋愛をしながら比較され、踊らされ続ける」という立場を明確に再認識し、人によってはカクテルパーティーで直接会えるまでに最低2日間以上も疑問を抱えることとなり、かなり消耗したのではないだろうか。特に、女子会の撮影に出てこなかった秋倉諒子氏は、翌日のデートの様子からも、とてもしんどい時間を過ごしていたように思う。あの夜は、まだまだ人数が多かったこともあり、情報が錯綜してカオスな展開になっていそうだ。翌日のデートに休井美郷氏と共に彼女がセッティングされたのは、リタイアや崩壊防止という裏の意図もあったように思う。

この一連の混乱は、黄皓氏がどうこうという範囲を超えて、「バチェラーという企画が、どこまで仕掛けてどこまでやるつもりなのか」が、出演者には急に読めなくなった事も影響したのではないだろうか。出演女性には、建前の「恋愛感情」と本音の「コンペティションの勝ち上がり願望」がモチベーションとして混在していることだろう。勝ちやバチェラーとしての映像を意識したときに、彼のキスやスキンシップを明確に断ることができるのだろうかとの疑念もある。

黄皓氏と直接話す機会のあった秋倉諒子氏と休井美郷氏は、それぞれ率直によい対話をしていた。これで安心して飲み込んでしまうのもいいのだが、私なりに突っ込んでみたい。彼女たちは編集後の映像を知る由もないが、私は聞いてみたい質問がある。

「なぜカメラを締め出したのか。中野綾香氏と向き合っていたというなら、保守的な日本で曖昧な映像を放送する意味、証明できる人間のいない状況について考えなかったのか。まことに男女不平等で不本意だが、男である彼よりも女性である彼女のレピュテーション(評判)に傷をつける可能性は思い浮かばなかったか」

今回彼は「僕は嘘をつかない」とし、「信じる・信じない」の話に集約させたが、このように話を決着させることが少ししんどい。撮影後の将来では、相手にそもそも疑念を抱かせないよう配慮はするのか、しっかり言質を取っておきたいところだ。「信じる」ことは、無批判に従順に受け入れることではないし、そもそも潔白の証明もしづらく、相手を不安にさせるような行為を是とするのかは確認しておきたい。

それにしても、epi04カクテルパーティーのタイ製ドレスは素敵ではあったが、参観日臭がして爆笑していたのは私だけだろうか。

セクハラキスと性的同意

(C) 2021 Warner Bros. International Television Production Limited

黄皓氏はやはりできる男で、epi04の安定感のある白川理桜氏への対応は流石で、100点満点だったと思う。きっと素敵な思い出になるだろう。

しかし、そんな彼の行動で唯一気になったのが、epi05における藤原望未氏へのキスだ。epi06までに色々なキスがあったが、他の者に対してはあまり感じない。明確に言葉で同意を取っていないのは残念だが、一瞬の間は当人同士には分かるだろうし、私はそこまで無粋ではない。

基本的に手つなぎやハグでも同意をしっかり取る彼は素晴らしいのだが、キスだけは明確に言葉にしない。これはまだまだ日本では馴染みがないし、照れも雰囲気も流れもあって難しいというのは重々分かるのだが、彼がやると絵になるし、かっこいいお手本になると思うので是非やってほしかった。とにかく、その相手との初キスなら特にしっかり同意を取ることを念頭に置いてほしいし、制作陣は責任を持ってレクチャーと配慮をしてほしい。ただでさえ、選ぶ側と選ばれる側であり、キスを拒みにくい背景がある。しっかりと女性スタッフを配置し、複数の観点で問題がないか確認してほしい。

言葉でちゃんと確認することの意味は相手への「尊重」だ。「自分がしたい」という意思よりも「相手の気持ちを尊重」した事実が、相手の記憶に残る。恋愛初期には有耶無耶に酔っぱらいがちだが、ふと我に返ると、勢いよりも「ちゃんと尊重されているか」が重要になってくる。

私は割とちゃんと同意を取るタイプなのだが、女性が気軽に甘えるのとは違って、男性が同意を取るのは照れ臭いのかもしれない。断られるとショックというのもあるだろうが、それも含めて醍醐味だしコミュニケーションだろうと思う。近頃韓国ドラマなどを視聴していると、キス同意のシーンをちょくちょく見かける。オシャレな言い回しもたくさんあるので機会があったら見てみるといいかもしれない。そして、キスは何も口や頬だけではない。手や指、髪やアクセサリーに丁寧にされるキスもグッと来る。そういうゆったりと距離を取った、相手に拒否しやすい余地を与える尊重込みのコミュニケーションもある。

これを踏まえて、藤原望未氏とのデートを振り返ってみたい。彼の足の落ち着きのなさとお酒のスピードは焦りを如実に表している。そうか・・・彼が恋をするとこんな感じなのか・・・やっと彼の人間らしい部分が垣間見れて感慨深かった。

しかし、このデートのテンションは悲しいぐらい噛み合っていない。黄皓氏は気持ちがはやって質問ばっかりしているし、最後は尋問のようになっている。余裕がないのだろうが、藤原望未氏にしてみれば二人のときの彼がどんな感じかを知りたいのに、一方的に質問攻めで、彼に対する気持ちが進むも何もないんじゃないだろうか。

とどのつまりは、デート終盤のピリついた空気感と突然の彼の沈黙、そして無言で立ち上がる動作だ。藤原望未氏はこれ、怖かったんじゃないかと思う。10歳弱も年齢差があり、選ぶ側と選ばれる側としての権力勾配、そして、暗闇のシチュエーションで男性の機嫌を損ねることは、女性にとっては怖い。

男性は想像しにくいかもしれないが、単純に男女逆転ではなく、例えは悪いが相手が明確な体格差のあるゴリラだとでも仮定して思い浮かべてみてほしい。

通常のデートなら周りにスタッフはおらず更に怖い。ドライブデートなら、男性が不機嫌になると安全な帰宅がもはや担保されない。そして降って湧いたゴリラの強引キスだ。どうだ、怖いだろ。

黄皓氏の尋問中、藤原望未氏は何度も何度も目を逸らしていた。「スイッチ入ってない」どころではなく、彼に対する興味さえあまり感じられず、この空気感に居心地が悪そうだ。そんな気持ちの確認ができていないキスは、端的にセクハラだ。「こっちを向け」というような気持ちを押し付けるようなキスは暴力だし、彼は絶対に自重するべきだった。今回は事後のコメントがポジティブであったからギリギリ放映できているだけで、あれがネガティブなものであったならお蔵入りして事件化だ。そして、あの舞台装置のなかで、なかなか女性がネガティブな発言をできる状況でないことも加えておきたい。

これは世にあふれるセクハラの事後コミュニケーションにもよくある話で、被害者はときにショックを隠すために、権力勾配における不利益を避けるために、自分の傷を認識しないために等、あらゆる理由でもって加害者に一見ポジティブに見える態度を示すことがあるのは覚えておいてほしい。

ついでにepi06での居残りデートにおいても触れておきたい。髪に触れる黄皓氏の様子は愛しさに溢れていて、それを受ける彼女の表情も前回とはかなり異なる。女性全員で話した後というのもありリラックスしていたのか柔らかい雰囲気だった。しかし、日経平均なみに大暴落した「大好き」と、それをも必死でカツアゲする様子に白目は剥いた。

サイゼリアデートと感情ケア

(C) 2021 Warner Bros. International Television Production Limited

いやぁ、エピソードが進むにつれ、中野綾香氏の覚醒ぶりが凄かった。どんどんいい表情になり、ドレス姿も神々しくなっていく。とても素敵だった。

それにしても、4人のグループデートの後にセッティングされていたデートは、とても悲しいすれ違いだった。

彼女はあの日、夕方に一度女性陣と合流できたとは言え、たった一人で過ごしている。少し疎外感を感じながら、きっと夜のロマンチックなデートを楽しみにしていただろうし、心理面で黄皓氏にハグしてもらいたかったことだろう。

しかし到着したのはプーケットのサイゼリア。これは個人的に今回のバチェラーのロケ地が全般ショボいことを残念に思っているだけで、彼女自身がどう思っているかは分からないし、気楽な夜を過ごしたいという意図も分からんではない。が、ここに感情ケアがセットとなると最悪なものになったのは間違いない。

黄皓氏は彼女の沈んでいく表情に本気で気づいていないのだろうか。だとしたら、彼の彼女に対する観察力が相当残念だし、彼女に対して甘えすぎている。コメントを聞く限り「心地いい」とノーテンキな感じだったが、自分の気持ちにフォーカスしすぎではないだろうか。所々で出てくる彼の他者の感情への無配慮ぶりが目につく。彼は話の聞き手を得たことで、感情のケアを受けて元気になっているだけだ。そのように時間を利用された彼女が憐れだ。

そして、黄皓氏がやたら「相手の好意」を大前提とし、その上で自分の心が動くかを観測する様子には幼稚なものを感じる。今回はバチェラーが誰かを知らない状態で参加しているのだし、そもそも、リターンの予測がなければベットしないという投資家のような態度は浅ましく、可能性を狭める。

中野綾香氏の気持ちがどこかに行ってしまったらどうにもできないという話は、まぁそれはそれとして、現時点で一番彼に心が向き始めている秋倉諒子氏にしてみても、未来の感情までは分からない。そして、そもそも黄皓氏の未来の感情も分からない。人は移ろっていくものなのに、あくまで現時点の感情を固定的なものとして担保したがるのは不思議だ。彼自身が一番将来を信じていないのではないか。なんとなくだが、彼には見捨てられ不安のようなものが内在しているようにも感じる。

epi06のカクテルパーティーで中野綾香氏と話す黄皓氏の表情は豊かで人間らしく、どんな表情がこの場の正解か模索する様子も面白い。それを引き出している彼女と合わないというのは、これまた皮肉な巡り合わせだった。そして、カクテルパーティーで最後の別れを交わした後、彼女が残したコメントの声の低さと冷たさに最高にゾクゾクした。

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※画像は全て、Amazonプライム・ビデオ公式とWarner Bros. International Television Productionより拝借しています。