はじめに
今回は、epi07&トークSP視聴後のレビューとなります。(epi01-03、epi04-06のレビューはこちらから)
視聴後すぐにはレビューを書く気にもならず、「この中に、麻雀がっ!!麻雀ができる方はいらっしゃいませんかっ!?」と顔芸料理人の緊急コールがかかった場合に備えて、夜な夜な粗品の麻雀初心者講座を見ていた。
ついにはアニメ「アカギ」にも手を出し、バチェ戦線から一足先に離脱しそうになっている。ご満悦の周典、ポーカーフェイス西山、気迫の竹下、ダダ漏れ輿水が並ぶ卓の横で、ひたすら手作りごはんを貪りながら勝負を見守っていたい。
今回は、テキトーに脱線しながら、人物を主軸にエピソードを追ってみたいと思います。
主役をストールン
今回のショーは会話が平坦で退屈だ。いつの間にか、バチェラーがひとり語りしているシーンは、「どうせ当たり障りのない言葉だろう」とスルーするようになっていた。
これまでに印象に残っている会話と言えば、周典氏の「許すこと」のくだりと、尾﨑真衣氏の「好きという言葉は相手のため」という2つぐらいしかない。しかし、いずれの場合もバチェラーはリアクションが薄く、女性達は壁打ちのような会話をしては「もっといい恋します」と去っていき、そりゃあアッサリしたものだった。
恐ろしいことに気づいたのだが、バチェラーの情報が、バチェロレッテ出演時からほぼ増えていない。だって彼は何も語らないから。彼の半生のなかで練って練って絞り出した言葉というものがない。
そして、そんなバチェラーから主役の座を奪い取った女性達が輝きまくっている。演出を主役任せにせず、女性たちにスポットが当たること自体は望ましいのだが、あまりにも頼りなく存在感さえ希薄である。epi07の急激な失速は実家訪問で女性同士の絡みがなくなったからだろう。ここからは三人をとことんバチェラーが深掘りしていくターンだったが、それもできていない。自己プロデュースしていた竹下理恵氏がピッカピカだっただけだ。最終話に登場する三人の言語能力もヤバそうで、今からとても心配だ。
徹底した自己開示
epi07は竹下理恵氏の物語であったと言えるくらい、彼女のパートだけが濃かった。
彼女は自分の仕事風景を見せ、長年の友人も紹介した。A面だけでなく、B面C面も短期間で見せるというのは、なかなかできないことだと思う。彼の前で、どこまでも正直でいたかったのだなと、改めて勇気のある人物だと思った。
抑揚をつけた、緩急のある彼女の話し方が私は好きだが、これはなるほど、講師の発声によるものだったかと、ようやく気づいた。頭の中で一文を完成させてから、句読点を意識して語尾までしっかり発語するところが特徴的で気持ちがいい。
大きな体を丸めて、大人しく真面目に授業を聞くバチェラーは可愛らしく、彼女はこういうところが大好きなのだろうなと感じた。
彼女が友人を紹介したときの、バチェラーの警戒しきった表情が忘れられない。きっと彼は本来、相当の人見知りなのだろうと思う。それでよくここまで旅して来られたなぁと、マザー竹下理恵氏がずっと支えだったのだろうなと感じた。
一番好きなシーンがある。家族対面後にソファでバチェラーと見つめ合う竹下理恵氏の表情だ(epi07-00:17:16)。彼女はきっと、これが最後になるかもしれないという覚悟をしていたのだと思う。少し寂しそうで愛おしそうで、何かを言いたげな、でも言外で伝えようとするような。バチェラーも思わず「きれいだよね」と伝えるが、私も同じように感じていた。あらゆる想いが詰まった表情がとてもとても美しい。私はこれが見たかった!彼女の感情が流れ込んでくるようで切なく、泣き出してしまいそうにも見える表情が焼き付いて今も離れない。
人は顔の造形による美醜に囚われがちだが、こんな風に複雑な感情を織り込んだ表情の美しさというものがある。これは他者だけが発見するものなので、なかなか自覚することがないだろうが、気持ちの入った表情が人に強く感動を与えることは、知っておいてもいいと思う。
恋は叶わなかったが、バチェラーが後先を考えずに行動する瞬間を引き出したのは彼女だけだ。あの夜とても大事にされていたことが、いつか良い思い出になるといいなと思う。
ローズセレモニーで大内悠里氏が真っ先に呼ばれた時の怯えた表情が印象的だった。何度も思い浮かべては無理矢理頭から消した光景だったのかもしれない。絶対にバチェラーの前で泣かないと決めていたのだろう、毅然と去っていく姿がカッコよかった。自分を全力で表現した彼女はとても眩しく、最後までやりきったことを称えたい。
16名の様々な参加者がいたが、恋を掴む能力で言えば、竹下理恵氏が一番強いのではないかと思う。野に放たれた彼女はおそらく無敵なので、私は何も心配していない。
YAKINIKU☆占い
焼肉の価値観が重要だと言い出したときは、「世界は広いんやなぁ~」と白目をむいてひっくり返りそうになった。末っ子の私は、いつも誰かに焼いてもらって雛のように出来上がりを食べるだけなので、そんな事を考えたこともなかった。ゆらゆらする煙を眺めたり、レモンの最後の一滴を絞り出したり、デザート用の胃を確保するために米とビールの按分計算をするのに忙しくて、焼いてる暇なんかねぇ。
彼女の動きが独特なのは、オタク趣味が高じたものだろう。私も猫に話しかけている時はマジでキモい。彼女が摂取しているのは主に漫画だと思うが、コミックの中では特に力強い男性&可愛い女性のカップルフォーマットを踏襲していることが多いため、ああいう仕上がりになっているのだろうと思う。異世界転生した名も無き凡人の前で、美少女はだいたいああいう感じの大げさな愛想を振りまいている。ハマっていたのがアメコミなら北斗の拳のような表情筋を持ったかもしれない。彼女の表現はどこまでも漫画的にデフォルメされすぎていて、そんな二人の様子もどこか現実感がない。
大内悠里氏とのデートは、彼女が初回のカクテルパーティーで話していたように、飛行機から見ていた空と海の景色や、メキシコで見つけた動植物との体験を共有したいという願いが全て叶えられている。バチェラーの初期ロックオンから惑いなく淡々と進んできている軌跡ではあるが、その実二人はそれなりにパスを投げあっていたように思う。残っている三人のなかで、彼女だけがバチェラーの考え方や内面についての問いかけをしていた。竹下理恵氏は会話は多いものの、その内容は「これは嫌だ?」と彼の評価基準を確認するものや、「全てを受け入れる」という愛の表現や自己アピールが多く、実は彼自身のことはそこまで掘っていない。
言葉が足りないことの威力と不安
長谷川惠一氏の言語表現力は物足りないが、それに代わるものとして、彼の分かりやすい表情と瞬発力に私は注目している。
大内悠里氏の「育ってきた家庭環境の違いに不安はないか?」という問いかけに対して、バチェラーは間髪を入れずに「ないよ全く」と答えた。言葉は圧倒的に足りていないのだが、この瞬発力と、本当に何も考えていない表情が「そんなことは重要ではない。取るに足りないことだ」と言外に示しており、逆に彼女が抱えてきたものが楽になったのではないかと思う。
安心まで至らせるには言葉が足りなかったし、追いケアも欲しかっただろうとは思うが、「どうでもいいこと」として軽く扱われたことこそが、バチェラーの偏見のなさや誠実さを表し、彼女に届いているような気がする。これまで彼女が色眼鏡で見られてきた過去が洗い流され救われた瞬間だったのではないだろうか。
そして、いつもすぐに手のひらを返すようですまないが、お母様が尋ねたオンオフについて、彼は未だ知らないために真っ直ぐ答えることもできず、話が噛み合わないままフワフワと要領を得ない会話をしていた。やっぱり、あんまり深く考えたりしないんだろうな。彼が喋れば喋るほど不安になるので、無口なのは戦略的に正しいのかもしれない。
性的同意
長谷川惠一氏は、キスをする前に同意をしっかり取っていて素晴らしいと思う。つい先日、性的同意アプリ「キロク」がリリースされたと報じられた。こんな悪用必至のアプリがリリースされてしまう日本社会が恐ろしいので、改めて性的同意について書いておきたい。まずは、分かりやすい動画があるので視聴してみてほしい。
上記の動画でも述べられているが、性的同意は一度宣言したからそれで最後まで覆らないものではない。
大内悠里氏との別れ際のキスは、一応言葉で同意が取れているのだが、身体が逃げているのであそこで止めても良かったと思う。二度目のキスとその後の彼女の表情から大丈夫そうだとは思うが、いち視聴者として瞬間ギョッとしてしまったのは事実だ。「嫌だったらいいんだよ?」という言葉も、権力勾配がある状況では心理的安全性が担保できない。勝ち残りたいなら受けるしかないキスだ。
たとえ出演に際して「キスを演技として受け入れる」という契約事項があったとしても、出演者はそれを視聴者に向けて説明できない。バチェラーの不名誉にもなりかねないので、より慎重であるべきだと思う。
伝えるキスか、欲情のキスか
キスシーンが番組的に欲しいのは分かるのだが、無理にする必要もないんじゃないかと思う。そもそも彼では妙に生々しくて絵にならないし、「お預けしてた」のくだりも「ハァ!?お前のキスはご褒美足り得るのかぁあ??」と前のめりでツッコミを入れそうになった。
さて、バチェラーはなぜキスをしたのだろうか。あれは愛を伝えたかったのだろうか。それとも、可愛い彼女の唇に触れたかったのだろうか。その両方だろうか。恋人関係になればいずれのキスも歓迎されるものだが、天秤にかけられ、それが可視化されるショーの中では、欲情のキスは止めとけば?というのが個人的な意見だ。
愛を伝えたいならば、他にいくらでも方法がある。身体が強張った彼女に対して、「じゃあ今度」と髪にキスでもして余裕をもって引き下がる方がカッコよかったと思う。
恋愛は長期投資なので、一度にリターンを期待するのは馬鹿のやり方だ。ワンナイトじゃないんだから。余裕を持ってリリースすることで、「この人は断っても大丈夫、嫌われない。この人は安全」という信頼が貯まっていく。物足りなさも恋愛のスパイスだし、将来的には二人の関係がより深まるだろうと思う。女性は安心が担保できなければ、感情的にも身体的にも絶対に開かれない。基本的に、女性は体格差がある男性という存在が多少なりとも怖いので、信頼はマイナスからのスタートぐらいに気長に構える方が良いと思う。「断っても機嫌が悪くならない」というのはとても重要だ。
言葉にするか、しないか
性的同意の話題になると、「いちいち言葉にしていたらムードが壊れる」という意見が必ず出る。分かる。
実際、竹下理恵氏とのキスは、明瞭な言葉としての同意はないが、あれに同意があったことは誰にでも分かる。要は関係性とコミュニケーションなので、「かっかっ彼女ができそうなんですけどっ!どうやってキスしたらいいですかっ!!」とアホみたいな質問をする奴には「明確に言葉で同意を取れ」とアドバイスするだろうし、引き際をわきまえているコミュニケーション上級者なら「好きに同意を感じて」となる。日本には他者を尊重しないアホが多いので、便宜上「言葉で同意をとれ」とアホ向けにアナウンスしているだけだ。アホはアホ故に、アホが高じて変なアプリまで作ってしまう。このアプリを使っているクズからは絶対に逃げろ。セックスは一番複雑なコミュニケーションなので、それ以前でつまずいてしまうような者には、そもそも資格がないのだ。
私は同意を取るタイプだが、別に言葉にはしない。付き合うと、二人だけの合図が出来上がっていくものだし、首を傾げて見つめるだけでも察しがつくものだ。むしろそれがないなら、まずその関係性を構築すべきだと思う。まだ浅い関係の場合、同意を取るのに一番簡単なのは「寸止め」と「おねだり」だろうか。相手に決定権を委ねてしまえばいい。意識させることには成功しているだろうから、振られても絶対に機嫌を損ねずに「信頼貯金が貯まった」と思って笑顔でいればいい。「キモッ」と思われていなければ次がある。
好きカツアゲ
砂湯に寝そべる二人は、相変わらず色気がないが良い雰囲気だ。彼らからは男女のそれがない訳ではないが、「セミ採りに行こうぜ!!」と夏休みに短パンの少年達が網を持って走り回っているような印象も強い。
ご家族から、化粧けのなさや男っぽさをからかわれていたり、彼女自身も身長や声などが気になっているのか、「女の子になりきれない」コンプレックスのようなものを感じる。海のデートで「かわいいのぅ~」とバチェラーに言われたのも、案外とても嬉しかったのかもしれない。
女性らしく振る舞ったり、気持ちを伝えることにどうしてもテレてしまい、重要局面でもなかなか乗り越えられない。モジモジしているのも可愛らしいが、ぶっきらぼうに「好き!」と言ってしまっても可愛いだろう。
彼女はそこそこバチェラーが好きなのだと思うし、言葉を区切りながら最後に「~と思う」と発語する度に私には伝わってくる。「もう待てん」という言葉もなかなかパンチが効いていて面白い。最後の恋感はないが、彼女には共に笑って虫採りをする程度の未来予想図はあるのだと思う。あくまで決定的な言葉を言わせたいバチェラーは無粋だとは思うが、比較する立場である以上仕方ないのかもしれない。
オッサンみたいな思考になってしまうのだが、彼女をお姫様扱いしてズブズブに甘やかすと、どんな反応をするんだろうという好奇心がある。テレ虚勢の向こう側を見てみたい。彼女の奥底にありそうな「可愛い女の子になってみたい」欲求を昇華させてみたい。
ファイナルは毎度異なる個性の二人になるが、今回も難しい。特に、西山真央氏との相性や居心地の良さは、今後出会える可能性が低いレベルの特別さだ。タイプど真ん中に出会うのも難しいが、居心地のマッチングはより難しいと思う。どちらも素敵な女性で、結局はバチェラーの価値観による判断となりそうだ。
自分だったらどうするかなと考えてみたが、私は結婚願望がないので、情熱に従って大内悠里氏と行けるところまで行ってみたいかもしれない。燃やし尽くした失恋も、思い出になればまた甘美なものだ。
輿水劇場
こんなに笑ったトークSPは初めてだ。周典氏、輿水りさ氏、明石真由美氏のターンで爆笑していた。
輿水りさ氏は発信しているコスプレ写真も素敵だが、動いているとより面白くて魅力的だ。何食ったらああいう仕上がりになるんだろうか。ずっとテンションが低い私は、塩分が足りてないのかもしれない。感情が豊かな彼女を見ていると本当に楽しいので、大野博美氏に手綱を握ってもらって、とにかくずっと自由に生きていてほしい。今後彼女はあらゆる所から引っ張りだこになるだろう。
ストールンローズ
またもや再燃するストールンローズ談義では、鈴木光氏の「誠意を見せてほしい(何様?)」、尾﨑真衣氏の「なぜならばという理由(言ってたよ・・・?)」「感情が弱かった(理由じゃなくて感情なの?どっちなの?)」と、ツッコミどころがポロポロとこぼれる。ここに来ても出しゃばって主役の月田侑里氏にあまり喋らせず、そういう圧が現場にもあったのだろうと容易に推察できる。ストールンローズについては追加記事まで書いて燃え尽きたので、もう何も言うまい。
なんだかんだで、この2名が私は少し苦手だ。特に尾﨑真衣氏は、月田侑里氏の発言に頷いた後の表情(epi08-00:11:10)の冷たさと、竹下理恵氏登場時(epi08-00:32:24)の憮然とした表情が彼女の本質を表している気がする。時折目の奥が笑っていない彼女はとても難しい方だと思う。
一方、竹下理恵氏のために訴えかける高須賀佑紀氏はとても素敵だったし、ハグをしたいと申し出る月田侑里氏も奥ゆかしくて可愛らしかった。そして、二人を自発的に動かした彼女自身も信頼に値すると思う。
財産はバチェ民
私がバチェラーを支持している理由は、分かりやすいフォーマットと巨大コンテンツに育ったからこそ集っているバチェ民の存在が大きい。
バチェラーは展開を予想するのも面白いが、一番の魅力は考え方の違いを楽しめる点だ。特に今回のストールンローズのくだりは、様々な意見が飛び交い、私自身も追加記事を書くほど考えることに没頭できて楽しかった。
バチェラーというコンテンツを通して他者の視点を知ることは純粋にとても楽しい。それによって「あの時、あの人はこういうつもりで言っただけだったのかも」と過去と折り合いがついたり、内省に繋がる。そういった意味で、ショーのなかに「争点があること」というのは大事なファクターかもしれない。
イーロン・マスクが暴れ出した頃、「Twitterはこたつなのに!」という魂の叫びを聞いた。アプリを開くだけで、ニュースから猫から何でもドンブラコと流れてくるTwitterは、まさに手を伸ばせばリモコンやティッシュに手が届くこたつであった。「だから他のSNSへ引っ越す時は、みんな一緒じゃなきゃ意味がないんだよ!」とその投稿者はむせび泣いていた。
そうだそうだ。そして、バチェ民も同じだ。バチェラーがキラーコンテンツであるからこそ、ここまで価値観が多様な視聴者を集めることができる。今はまだ、視聴者を含めた総合力では代替するリアリティショーが存在しない。私はバチェラーをバチェ民ごと楽しんでいるので、本編がツマンネと感じることがあってもなかなか離れる決心がつかずダラダラと視聴している。引っ越す時は皆一緒じゃないと駄目だ。
麒麟・田村裕の自叙伝「ホームレス中学生」に、「味の向こう側」という忘れられない一節がある。白米をとにかくずっと噛み続けていると、一度味がなくなるが、それでもまだ噛み続けていると「ふわっとした甘さ」がやがてやってくるらしい。辛抱強く五分粥を噛み続けている私に、そろそろ向こう側を感じさせてほしい。