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バチェロレッテ3 #99-LAST

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はじめに

アクセスしていただき、ありがとうございます。大変申し訳ないのですが、以降のバチェロレッテ記事連載を中止することにいたしましたので、お知らせいたします。

今後、当ブログでバチェラー、バチェロレッテ記事を掲載することはありません。今まで拙い文章を読んで頂き、時にメッセージを伝えてくださりありがとうございました。心より感謝しております。

ではここで、一度さようなら。ごきげんよう。

言葉が消えた

以降は、単なるお気持ち表明なので読む価値はありません。お時間のある方だけお付き合いいただけたらと思います。

少し昔話をしたいと思います。バチェロレッテ・シーズン1のレビューを書いた時、私には素晴らしい出会いがありました。ひとりの女性の方からご連絡をいただいたのです。数行読んで、彼女が特別な人間だと分かりました。言葉が美しかった。とてもとても繊細で美しかったのです。無数の星のなかで、ひと際輝く宝物を見つけたような、そんな感動的な喜びがありました。

掲載当初、おそらく50人以下であっただろうフォロワーが増え続け、次々と反応が届き、Twitter自体にも慣れていなかった私は勝手が分からず、正直すごく戸惑いがありました。

烏滸がましいことですが、福田萌子氏の感覚は私にとても近かった。映像に引き込まれ、夢中になってレビューを書いたのを覚えています。彼女の事をどう表現すれば伝わるのだろうかと、客観視チェックをかなり神経質に入れて書きました。凡庸な主役が続いた最近はこのチェックをあまりすることがなく、薄味のショーについては手癖で熱量なく書いているところもあります。特にバチェラーの記事は書きにくかった。主役は一目惚れでIQが平常時の20%程度に落ち込みます。書きようがない。連載という形式を取っていなければ、「男の子が色んな女の子にチュッチュしてました」の一行で済んでしまう。なんとなく、関連のある社会性を帯びたトピックへ繋いでボリュームを調整しているようなところがありました。

バチェロレッテ・シーズン1は精神的なマイノリティ性を持つ者にとって、最初で最後の奇跡的なコンテンツでした。私はそういう方へ語りかけるように書きました。明確なターゲット層があったのです。そして、それを受け取ってくれた先述の彼女から連絡をいただくことに繋がり、私は神様からおでこを撫でてもらったような、ご褒美をもらえたような気持ちでした。幸せだった。書くことが楽しかった!

コンテンツを通して奇跡のように出会った彼女は、たった数行で意図を読み取ってしまうような繊細な感受性を持っていて、いくら気をつけていても足りないと、丁寧に丁寧に言葉を綴りました。そのため私信のやり取りにいつも遅延が出るため、私達はこんな話をしました。お互いはそれぞれどこかの無人島で孤独に暮らしているようなもの。ボトルメールを届くと願ってふんわりと海に投げ入れるような気持ちで、言葉を贈り合いませんかと。「お~い」と投げられた言葉への返信がいつになるかは分からないけれど、確かに受け取っているから気ままに投げ続けてほしいと。初っ端から深いトピックに潜り込んで耽るように対話をしていた私達は、共有する時間の概念をまず変えました。そんな彼女へどうしても伝えたいことがあって書いた記事が「言葉はどこから来るのか」です。たったひとりの彼女のためだけに書いた記事ですが、全記事中で一番魂のこもったものです。丁寧に丁寧に書きました。できる限り本意を正しく伝えるために、10,000字近くが必要だったんです。

バチェロレッテ・シーズン1のレビューで私を見つけてくださった方だけが、私のお客様です。そういう方だけのために書いていたい。50人だけで安全に書いていられたときに、伸びやかに書いていられた幸せな頃に戻りたいのです。

フィルターバブル

バチェロレッテ・シーズン1の追加レビューで、私は意図を持って書いたと手の内を明かしています。伝えたいことを書くために、コンテンツを利用したと白状しています。だから、私のレビューはそういうものだと読者の方に伝わっていると自惚れ勘違いしていました。参院選と重なったシーズン2のレビューでも明確に方向性をつけて投票を呼びかけていますし、改憲についての警鐘記事を書いています。読ませたい本題はそこです。フックとしてコンテンツを利用するからには、最後のトピックに置くしかない。文章力の定義は色々あるでしょうが、私にとってのそれは、「完読させるのがよい文章」です。

長過ぎるから途中で脱落する者が必ず出る。どうやって10,000字を超える文章を読ませ、興味を引っ張り、目的のトピックまで導くか、そんなことを考えながら書いていました。つまり、拙いながら戦略的な意図を持って書いていた。当然です。無料のものには意図があります。1文字1円の広告料にもならない文章をなぜズボラな私が書いていたか。それはバチェラーオタクであったことも大きいですが、エンタメには力がある。バチェラーというコンテンツに社会性をぶつけることで、互いのフィルターバブルを突き破りたいという野心です。

今回、私が明確に政治的な発言をしたことで感情的な反応があり、それを犬笛のように勝手に勘違いして受け取ってしまった機械的で個性も思考力もない兵隊BOTから突撃を受けました。(最初に反応された方には何も責任はありません。私の名前を出してもいませんし正当な批評として理解し受け止めています。なのでこの方へ絶対に反応しないでください。問題は勝手にGOサインと思い込んで突撃してきた別人です。私が始めたことですから、私がハンドリングし、私が決着させることです。見つけられないと思いますが、絶対にこの方へも反応しないでください。迷惑です。)

BOTの突撃だけであれば尾にたかる蝿のようなものと受け流せますが、スクショを晒されて攻撃されるのが初めてというのもあり大変ショックを受けましたし、蓮舫陣営へクレームをつけにいったりとの暴走ぶりに疲弊しました。最終的に私の読者の方にまで影響が及び、流石に私もムカつきました。こんなにキレたのは何年ぶりだろうかと、どこか自分のことをおかしく俯瞰しながら、熱量が急速に冷めていきました。「ああ、くだらない」

「記事を消してください。フォロワーが減りますよ」という名もなき小BOTの言葉には失笑すると共に、随分舐められたものだなと、こんな低俗な人間にまで記事が読まれていることがおぞましく、また、鼻をかむティッシュのように消費されることに虚しさも感じた。フォロワー数なんてどうでもいい。それは私の価値を左右しない。そんなことを気にするようなら普段から政治的な発言なんてしていない。私のXでの人格は、政治、猫、映画、何もかもごった煮で、たったひとつ。なぜならフィルターバブルを崩すという野心からだ。「なんかあいつグチャグチャつぶやいてるしウザいけど、バチェラーの記事だけ読んでみるか」と思ってもらえたなら御の字なのだ。ジャンルをクロスさせることに意味がある。

その小BOTは攻撃的な言動でフォロワーを釣るという不毛な営みをしていたが、そこに何か意義はあるのだろうか。昏い分人が肥大化し、そろそろ現実にも影響が出ているんじゃないか?そもそも客ではない人間に嫌われることなどどうでもいい。顔の横を通り過ぎる小蝿を気にしたりしない。

馬鹿な子供からはおもちゃを取り上げるしかない。大丈夫、おしゃぶり程度のこんな場末のレビューがなくなったところで何も影響はない。人を傷つけるナイフや爆弾を振り回して、愉快そうな仲間と戯れて踊っていればいいじゃないか、いつの日か人を殺すまで。

シーズン5・ストールンローズ会議の再演

率直に、昨今のバチェラー界隈のXはフィルターバブルに耽溺し先鋭化しすぎていると思う。やたら攻撃性の高い、数個の大手アカウントが場を支配し、選挙の投稿に#バチェロレッテ タグを使用することも許されない。もちろん「祭りに水を差すな」という怒りも一定理解できるが、なぜそこまで感情に触るのか、その理由こそを見つめて欲しい。私達は「祭りを楽しみたい」という同じ方向を向いていたと思う。互いの時間軸が違うだけだ。私は今年だけではなく、来年も再来年も祭りを楽しんでいたかった。それには今年どうしても蓮舫を勝たせる必要があったというだけの話だ。

学生のバチェ民を円安が直撃するだろう。一度災害が起これば復興もされない場所に住むバチェ民は声も上げられないまま消えていく。次々と祭りを楽しんでいた人達がいなくなる未来が私には見えていた。弱小アカウントが持っている戦力を全力投入するのは当たり前だ。ツリーはトイレのように流れていくものだし、私が蝿の存在を意識していないように、気に入らない発言ならブロックして放っておけばいいじゃないか。まさか都合よくブログ記事だけ読んで消費しているんじゃないだろうな?自分の中の支配欲求と対峙してほしい。やたら沸点が低いのはセロトニン不足だ。

今シーズンで「セロトニン」がキーワードになっているのは、皮肉で界隈を刺しに来ているのかと、ひとりで笑っていた。また、思考型の恋愛に舵を切ったのは、ファン層の切り替えを目論んでいると思う。今損切りされようとしているのは、いずれ事故を誘引するだろう感情特化の幼稚な視聴者層だ。おそらく、感情的な反応だけするBOTのような人間は、画面の中で何が起こっているかを理解できない。目だけで深いコミュニケーションがなされている事や、名シーンとなった2on1会議の展開の凄さが深く味わえないだろう。カワイソ。

場を支配する一軍女子()達は、まるでバチェラー・シーズン5のストールンローズ会議を再演しているようじゃないか。気に入らない者がいたら犬笛を吹き、子分と一緒に叩き馴れ合っている。なんだそれ。まるでやっていることが中学生じゃないか。月田侑里氏や岩間恵氏への界隈の対応は酷すぎるし、心底くだらない。

界隈は萎縮し始めている。きっと鍵をかけるアカウントも増えているだろうし、今後は小さなコミュニティに分化していくのかもしれない。そういう流れがさらに一部の暴走を加速させていくだろう。彼らはフォロワー数が誇りで、自身の発言の正当性や価値までを信じている。扱いを間違えてはいけない一軍女子()は、界隈のみならず、出演者たちをも萎縮させていることだろう。私は一切関わりたくない。

クローズドのコミュニティなら話したいこともあるのかもしれないとは思うが、有料化で囲むことは人の褌で相撲を取るようで自身のポリシーに反するし、やはり難しいなと思う。何よりバチェラーシリーズに対する熱や言葉が心の中から消えてしまった。私の感想は私の頭の中にあるし、これまでと別に何も変わらない。自浄作用のない場所にはもういたくないし、潮時だ。

恋リアについて

きっかけは先述したとおりだが、最終的に私がバチェラーシリーズから手を引こうと思った最大の理由は、大きく2つある。1つ目は、月田侑里氏へのいじめに何も対応しなかった公式に失望していること。このままでは近い将来必ず事故が起こる。絶対に加担したくない。

バチェロレッテ・シーズン3の2on1会議と比較すると明確だが、あの場には異常な権力勾配があったはずだ。それなのに「何も言えない人間」のようなマイナスイメージを固着させ、本当のことを説明できないストレスをたった一人に背負わせ続けた。今回、今まで理知的()だとされていたガールズの評価さえ地に落ち、最低な態度であったと逆転してしまう危うさもある。シーンに対する設計の甘さが最悪な形で残ってしまったシーズンだと思うし、映像を編集した製作にも責任があると思う。口をつぐむことを永遠に強制したプールのシーンは罪深い。彼女がひとりで部屋に帰ってしまうようなシーンだったのなら、彼女の本意が作品中で表現されて完結していたと思う。慎重に視聴者の反応を予測する必要があるので、数パターン撮影しておくべきだと思う。

Netflixでは全てのリアリティショーの出演者に対して、精神的または身体的に悪影響を受けないことを最優先事項として、臨床心理士や医師、カウンセラーと連携し、番組の制作中から公開後も継続的に出演者ケアをしているそうだ。

Netflixのラブ・イズ・ブラインドやラブ・デッドラインは、いずれも出演者同士の衝突を避け、視聴者から過激なリアクションが出ないように設計されている。

特に、私がずっと続編を待ち望んでいるラブ・イズ・ブラインドは、ひたすら自分の内面との向き合いだ。ポッドを渡り歩く段階では同じ者を想うライバルがいるにはいるが、そこで何が話されているかは互いに窺い知れない。過度に心を乱されることもなく進行し、カップル成立後は二人っきりで向き合うという、見せ場も濃厚で安全にも配慮された最高の設計だと思う。

手を引く2つ目の理由は、攻撃力と発信力が高まっている一部のアカウントと指原莉乃の存在である。現在でも「政治に興味を持たせない」という誘導をかけた政治的な発言をさりげなくしているが、彼女はおそらく将来国会議員になる。

そもそも、バチェラーを手掛けているYDクリエイションは、吉本興業と電通の合弁会社だ。吉本興業と言えば、クールジャパン機構を通じて自民党から100億を受けとっている。また、電通は東京五輪の談合を受けて指名停止になっていたが、100%子会社の電通ライブへ迂回させ、プロジェクションマッピングを48億円で随意契約している。その理由は都知事選にまつわるテレビ番組を放映をさせないためだ。エンタメ業界に自民党の首輪がしっかりついている。MCに女性が起用されなかったことも、「女性に物を言わせない」という隠された意図があるように思えてならない。また、中途半端な6月末からの配信開始は、小池都知事の任期満了日(2024年7月30日)から逆算され、選挙期間の目眩ましのために仕組まれていた可能性が高い。

テレビ業界は完全に腐敗自民と小池百合子に押さえられ、人々に都知事選の重要性や、小池都政の問題点を知らせない。そんな折、ただの一瞬差し込んだ#バチェロレッテタグは、それほど罪深いものであっただろうか。仮に発信方法がという議論がしたいなら、それは無意味だ。単なるトーンポリシング批判に結論などない。あれに問題があったとしたならば、そういう事で構わない。私は当該ポストを既に削除しているし、賛同できない顧客を失い、既に制裁を受けたということでいいのではないだろうか。

プロジェクションマッピングの48億円で小池百合子が売り飛ばしたのは都民の未来だ。ケバケバしいパチンコ台のような光の下で、食料支援を受ける人々の列が続く。この国は地獄なのか。

そんな経緯を持つYDクリエイションと指原莉乃の関係性。もう下準備が整いつつあると言っていい。彼女の発言に絶対の信頼を持つ盲目的な視聴者は多い。そんなファン層と攻撃的なアカウントが揃ったなら、何が起こるかなんて火を見るより明らかじゃないか。改憲に向けて扇動活動をされかねない。

すなわち、バチェラーというコンテンツに関わるということは、腐敗自民党を利し、将来自分たちの首を締めることに繋がりかねない。その時、私は自分の加担をきっと許せなくなる。だから、もう手を引く。私は、社会的な意義をしっかりと持ち、プライドを持って作品を作ろうとしている番組に河岸を変える。

最後に、丁寧に撮影されていたバチェラー・シーズン2の製作に携わっておられた方、そして、バチェロレッテ・シーズン1の企画、キャスティング・製作をされた方を心から尊敬しています。作品が本当に大好きです。感謝の気持ちをこぶたレポートにまとめました。理系の学生たちが戯れているような、丁寧なやり取りと爽やかさのある方向性が続いていくことを願っています。素晴らしいコンテンツをありがとうございました。

ここまで読んでくださった皆さま、長らくのお付き合いどうもありがとうございました。それでは、失礼いたします。ごきげんよう。

※画像は全て、Amazonプライム・ビデオ公式とWarner Bros. International Television Productionより拝借しています。

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