リアリティショー

バチェラー5 #04-last

はじめに

今回は、epi09-10視聴後のレビューとなります。(epi01-03,epi04-06,epi07-08のレビューはこちらから)

バチェラー5を一言で総括するなら、「恋の最大瞬間風速」だろうか。台風が過ぎ去った後のような爽快感はなかったが、夏っぽいものは見られた。ただ、この微妙なシーズン5をもう見返すことはないだろうし、海に行かぬまま夏が終わってしまったような物足りなさを感じている。原因は圧縮したら3行ぐらいになりそうな、バチェラーの会話のペラさだろうか。

今回は、人物像を少しだけ深掘りできたらと思います。

長谷川惠一氏

初めてこの言葉を使うのだが、彼は「とっつぁん坊や」というやつではないだろうか。ファイナリスト両者とかなりの年齢差があるが、横に並んでも違和感がない程度には表情が幼い。何も考えていなさそうな顔が、本当に何も考えていなさそうで、見れば見るほど不安になる。

彼は歴代で一番分かりやすいバチェラーだった。表情は乏しいが、目のギラツキと無がダダ漏れだ。たまにはこんなバチェラーも悪くないのかもしれない。初心者には親切設計だし、友永構文が書ける3級以上のバチェ民であれば、中盤から結果はある程度予測できていただろう。

思考の時間軸

「この人は、どういう時間軸で生きているのだろうか」と考えることがある。私は大きな決断はだいたい10~20年後を想定して動くことが多い。長期すぎる未来は、あまりにも変数が多すぎて計算など不可能なのだが、それでも限界まで考えてしまう。将来が不安で典型的な今を生きられない人間だ。

反対に、長谷川惠一氏は今この時を大事にする方だと感じた。体力優位なスポーツ選手にはこの傾向が強い。不測の事態に備えずとも、優秀ゆえに力技でなんとかなってしまうのだろう。そういった経験から、どこか近視眼的な短期時間軸で生きることになるのは、まぁ妥当なのではないかと思う。

それを象徴的に表しているのは、「飼えなかったのに飼っていた」犬の話と、「どういう家庭の方がいい?」とお母様に尋ねられたシーンだ。特に後者の虚をつかれたバチェラーの表情は面白怖い。個人的には、彼にひどくガッカリした場面でもあった。

ここまで差し迫った状況でありながら、「いつまでたっても恋人のような・・・」とフワフワとしたパートナー像しか持っていない。深く思考しないままに「燃えるような恋ができる相手」をフィーリングで選ぶのだろうなと思った。それ自体に是非もないし、彼の人生なので好きに選択すればいいと思うが、「長谷川家、長谷川家」と繰り返し、相手を巻き込み、子供がいるのが当然の家庭像を描いておきながら、結局はフィーリング重視というのは、あまりにもバランスが悪いとも感じた。

彼にはこれといった軸がないのかもしれないし、大内悠里氏を前に全てぶっ飛んでしまっただけかもしれない。きっと彼は結婚してから、子供を授かってから、何事も目前に迫ってから周辺事項について考えるのだろう。楽観的である反面、短期的な思考で全てが後手後手になるだろう彼との人生は大変そうだなと思うだけだ。彼の視界に入っていれば、きっとダイレクトに彼の想いや包容力が伝わってくるのだろうし、大内悠里氏も安心を得られているのだろう。しかし、第三者にはその視線が分からないので、どこまでも頼りないという印象のままだった。言葉が拙いままで主役を張ることは、過小評価されるリスクがあると思う。

なんだかんだで、彼が迷いや後悔が一切ない決断をしたのは、本当に良かったと思う。熱い恋がしたかったという願望に結婚前に気づけて良かった良かった。

西山真央氏

(C) 2023 Warner Bros. International Television Production Limited

ご家族と対面する彼女はそつがなく安定している。にこやかに対応しながらも媚がない清潔感は誰からも信頼され、彼女の強みのひとつだ。大内悠里氏と比較してしまうと、やや淡々としていて物足りないものの、穏やかでよい時間だったと思う。

しかし、最後の二人のデートは何だったんだろう。この期に及んで不燃ごみを製作する必要などあったのだろうか。そして、またしてもお題は「二人の思い出」だ。やる気がないにも程がある。もっと互いを知るために、例えば相手のイメージのグラスを選ぶようなデートでも良かったのではないかと思う。

今回のバチェラーは、大本命とそれ以外でデートの気合いがかなり違う。本命には「楽しませたい」、それ以外には「一緒に楽しみたい」が意図として大きかったのかなと今は思う。問題は彼の自覚の程だ。内省が弱すぎて、自分で自分の心に気づくのが遅い。

やっと「好き」と伝えた西山真央氏が、顔を真っ赤にしながらバチェラーの袖をモジモジといじる様子が可愛らしかった。想いは叶わなかったが、シャイな彼女が「伝えられた」という達成感は次に繋がるだろう。一度言えるようになると、何度でも言えるようになる。

バチェラーが「ほんとにこの旅って振り返ると、ずっと彼女がいたんだなっていうのは、改めて気づきましたね」と当たり前のことをインタビューで答えていた。4号の「僕にとって、朝食って毎日のことなんですよ」という名言を彷彿とさせる。

「ずっと彼女がそばにいてくれて、それが普通になっていた」ということが言いたいのは分かるのだが、このどうしようもない表現にガックリしてしまうのであった。彼女の存在について、もう一段掘った言葉はないのだろうか。彼と多くの時間を過ごしたとて、結局はこんな雑な一文に纏められてしまうのだなぁと少し憐れな気持ちになった。物事に対する解像度が低い者と付き合うと、必ずこの虚しさがついてくる。ショーを通して彼が残してきた別れの言葉には特にそれが顕著だった。ローズセレモニーでの彼女の立ち姿は完璧で、去っていく姿も毅然としてカッコよかった。

泣かない

私は西山真央氏の泣かずに笑って乗り越えるという姿勢が嫌いではないが、どこか危うさも感じる。ネガティブな感情と向き合うことも大切なレッスンなので、それを怠ったまま、災害級の試練に打ちのめされた時はどうするのだろうかと心配になる。悲しみを抑え込むことだけでは乗り越えられない局面は必ず来る。一人になった時にでも、素直に感情を見つめる時間があったらいいなと思うし、そういう気持ちを吐き出せる相手と出会えるといいなと思う。

また、彼女のこの悲しみを正面から受け止めない姿勢は、安定感というプラスの面であることは確かだが、相手の負を受け止めるということができない。バチェラーは結局のところ、自分の挫折について大内悠里氏にしか自己開示していない。「ハッピーに変えるよ!」という勢いでは、相手のこういう部分を受け止める包容力が持てない。私が何かを話したいと思った時に、仮にファイナリストの二択であったら、やはり大内悠里氏を選ぶだろうと思う。雑に「泣くなよ」と励ましてきそうな彼女とは、明るさや楽しさの共有以外は何もできない。包容力として求めるものには温かさや安定感だけではなく、「その痛みを受け入れてもらえる」という側面もあるのだなと両者の違いから感じた。

そして、彼女の言語化の弱さは感情を抑える癖から来ているように思う。以前、このテーマについて書いているので、こちらも読んでいただけたら幸いだ。

大内悠里氏

(C) 2023 Warner Bros. International Television Production Limited

バチェラーが家族対面を不安に思っていたり、終始フォローしている様子から、彼の気持ちが大内悠里氏に向いているのが分かる。

意外だったのは、彼女が「どういうデートをしてるんですか?」と家族に問いかけたシーンだ。良いとか悪いとかではないが、空気を読むことに長けていそうな彼女が、微妙な流れになりそうな問を発したのは不思議だった。かなり緊張していたのだろうか。

弟夫妻と別室で話すバチェラーは、肯定的な意見に「そうでしょう、そうでしょう」とご満悦だ。決め手に欠けるような渋い顔をしていた西山真央氏の時とは異なる。

おそらく、あの場で弟氏が一番訝しげに彼女を見ていた。「しんどい時にどう向き合うか?」との問はまさにそれを見極めるためのもので、抽象的ではあるが、よどみなく答えていた彼女からは、直接的にそのことではなくとも、既に彼との将来をかなり具体的に想像していることが伺えた。

雨のなかのクルージングさえ楽しそうで、バチェラーは青春の思い出をさらっと語ったりもする。真剣な相手であればあるほど、直近の恋愛については全く語らないか、語るとしても慎重に行うものだと思う。大内悠里氏に対して昇華しきった遠い過去を笑い話として語る態度と、西山真央氏に対してバチェロレッテの痛手を語る態度にも大きく差があった。

水族館でお香を炊くという暴挙は気になったが、二人の様子はとても微笑ましい。大内悠里氏はこれでもか、これでもかと強烈なパンチを打っていた。彼女の最大の魅力は素直さだ。喪失感について語る彼女は子供のようだが、正直さが胸を打つ。彼女は相変わらずよく泣くが、不思議なことに不快感がない。感受性が豊かな者特有の、感情に言葉が追いつかない事を補うような涙だ溢れる感情を伝えきるには、言葉でもキスでも足りない。そう感じたとき、彼女のような涙が出ることがある。きっと精神的に安定したバチェラーは、感情をフルでぶつけていけるレアな男性なのだと思う。

なぜなら、彼女のトリッキーな動きは評価をグラつかせる。漫画的な言い回しがどこか演技のように感じたり、すぐに涙が出る感情の起伏に惑わされる。描いた世界観に没入してしまう部分を可愛いと信じて受け止められるバチェラーだからこそ、彼女の気持ちが動いたのだと思う。嘘をつけないバチェラーの瞳に対して、感受性豊かな彼女は彼の心情が手に取るように分かって安心感があるのだろうし、泣いていてもアタフタせず、少しぼんやりしていそうな彼との相性はとても良さそうだ。二人には良い風が吹く気がする。

「本当に幸せになってほしいと思ってる」と伝えた時のバチェラーの目が愛おしそうで素敵だった。(epi09-00:48:27)デート後のインタビューに応えるバチェラーの目がもう決断していたので、トークSPで語っていた「ローズセレモニーで笑顔が浮かんだ」という言葉は方便なのだと思う。

比較するのも失礼なのだが、シリーズ全体で過去一両想い感のある素敵なカップルだと思う。トークSPはもう披露宴みたいな雰囲気だったことしか覚えていないので、レビューは書かないでおこうと思う。なかなかここまでアテられちゃったなと感じる披露宴もない。

結局、一目惚れ

見終わった感想のひとつに、バチェラーはできる範囲で可能性を探ろうと努力はしていたものの、「結局一目惚れだったか」というのがある。時間が限定されている場合、このような出会いになるのは仕方がないし、直感も侮れない。結婚後も生活スタイルをほぼ変えずに済む男性の選択とは、まぁそんなものなのかもしれないし、バチェラーの選択自体には何も言うことはない。どちらかというと、ショーの建付けの問題だ。

気になるのは、トークSPで輿水りさ氏が言っていたように、お気に入りがモロバレである状態だ。視聴者からもそれは見て取れ、現場はさらにそれを肌で感じていただろう。

以前からバチェラーのデート回数やエピソード数が減っているのが不満だったのだが、実際はこういう裏事情があったのかなと思う。余程の変わり者でなければ、第一印象で絞り込んでしまうものだし、ある程度の序列はできて当然、かつ察せてしまえるものだと思う。それ故に、「前半組」と自覚してしまうと士気が下がってしまうというのはあるだろう。そこで奮起できた輿水りさ氏は凄いが、誰もが彼女のようにガッツがあるわけでもないし、撮影を長引かせたところで、一度白けた空気は戻らない。話数が減ったのがずっと残念だったが、現場の維持には妥当な判断なのかもしれない。

バチェラーはそういう意味ではとても特殊なリアリティショーだ。主役だけは選択肢があるが、女性達は建前上バチェラーを選び続けるという選択肢しかない。他のショーなら、叶わぬ相手を諦めて他メンバーに狙いを定め直すことはよくある。そういうフォーマットだから仕方ないというのは、まぁそうなのだが、やる気を漲らせるための何かしら良い仕掛けがないものかとは思う。簡単に思いつくのは時間差で投入されるダブル主演(もしくは、いずれか一方のみがバチェラーであることを秘匿した同時スタート)だが、カオスな展開になりそうだしなぁ・・・。

シリーズに求めるもの

本編には関係ないが、今回追加されたゲストMCの片寄涼太が私は少し苦手だ。彼はとにかく顔がうるさい。勿体ぶった尺取りと姿勢の悪さが目障りで、MCのシーンは途中からスキップするようになった。

以前、見ているだけで幸せになる深田恭子のドラマに彼が出演しており、その表情と演技が苦手すぎて視聴を断念したことがある。まったくもって見当違いの私怨だがチェンジでお願いしたい。

彼が今回投入された意図は理解しているつもりだが、次はその必要がないくらいの圧倒的なバチェラーを見つけてきてほしい。視聴者が「自分も争奪戦に参加したかった!!」となるぐらいのバチェラーだ。異世界転生バチェラーのモテでロマンを煽り、男性視聴者を引き込みたいという意図も理解できるが、逆に女性視聴者を逃してしまうだろう。

おそらくシーズン6は、かなり厳しい目で視聴者が見守ることになると思う。シーズン6が低調のままに終わると、いよいよ見切りをつけ、以降の視聴を断念したり、リアルタイムで視聴しない層が増えるだろう。きっと私も離脱して放映後に評価が良ければ見るようなライト層になる。必ず、新人の「THE バチェラー」を投入しないことには、ここ数年の観客のフラストレーションが払拭されないと思う。個人的にはバチェラーはもう3シーズン続けて低空飛行のままだ。

シーズン5の出演者でバチェロレッテに続投させるとすれば、私がレビューを書きたくなるのは周典氏のみだ。ショーの成立を考えた時、彼女以外では私の求めているものが満たされないだろうと思う。ただ、人材使い回しは否定派なので、頑張って新人を発掘してきてほしい。ラブ・イズ・ブラインドのプリア氏のようなタイプが面白いと思うのだが、どうだろうか。

女性は特にその傾向があると思うが、デートや旅行の予定が入ると、当日はもちろん、それまでの準備期間も同じくらい楽しく過ごしていたりする。新しい主役が発表されるだけで、ショーが開始されるまでの1ヶ月ずっとワクワクしていられる。このワクワクが欲しい。「この人、こういう人だったんだ!」という発見の喜びを与えてほしい。使いまわしにはその楽しみがない。

バチェロレッテ3は来年の9月あたりだろうか?ブログと私のやる気が生きていれば、また次の祭りでお会いしましょう。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。