人生

人間・断捨離

今日はおひとりさまの人間関係について語ってみたい。わたしは内向型ということもあって、人といるとかなり疲れてしまうことを、割と早い時期から自覚していた。それでも若い頃は、外向型的に振る舞いながら、なんとかやっていたものだ。

しかし、30代も半ばになり、恋愛関係をはじめとして、あらゆる外部からの刺激にほとほと疲れ切ってしまった時期があった。まず、趣味が楽しめなくなり、仕事に行き詰まりを感じ、プライベートがうまく回らなくなった。人と会っても違いを強く意識するだけで、回復するどころか、余計に悲しみと疲労が溜まっていく。気晴らしになるはずもない。

よく覚えているのが、飲み会に行った後に繰り返した過食だ。楽しいはずの飲み会が、笑顔キープが命題のガマン大会になっていた。

こうなったときに、うまく自分のことを周りに説明できたら良かったのかもしれないが、それなりに外向型っぽくやっていたため、もはや振る舞い方がわからず、消極的に突然連絡を断つという暴挙に出た。結果・・・残る者だけが残った。

去ってしまった人がどうの、という話をするつもりはない。もちろん素敵な人もたくさんいた。ただ、自分の能力の限界を思うと、残ってくれた人達の距離感がとても心地良いのだと気づいた。返信が遅れても、数ヶ月放っておいても変わらない。本当にホントの心情は知る由もないが、前の続きのようなテンションで会話が弾む。要するに大人な人達が残ってくれたのだ。

いい大人になると、地域情報の更新のような話題には飽ききっていて、全くそそられない。どちらかというと、「こういう経験をして、最近こんな風に考え方が変わってきた」だとか、「こんな本を読んで、こう感じた私だったら~」といった、その人なりのフィルタを通した、「情報ではなく考え方」を聞きたいと思うようになっていたのだ。

友達は多い方がいいのか、そのことは内向型はとくに真剣に考えなくてはならない。友人が多くても、それが多様性を持っていなければあまり意味がないのではないかとも思う。「色々な人間と親しくすること」が重要なのであって、やはりそれは数ではないだろう。

あなたはコピペしたような、何を話すか予測がついてしまうような退屈な友人に囲まれてはいないだろうか。断捨離は必要かもしれない。そして、退屈を許容できてしまっているあなたは、もしかしたら断捨離されてしまうかもしれない。