はじめに
今回は、epi07-08視聴後のレビューです。(アンケート、epi01-03、epi04-06のレビューはこちらから)
今週はバカ息子にビンタする香川照之にしびれた。イイヨイイヨ。すっかり満足した私は半眼を閉じ、素数を数えながらバチェロレッテを見守っていた。
幼なじみの小出翔太から、手作り弁当をカツアゲしては屋上の早瀬先輩に貢ぎ、「先生が来たら法螺貝で知らせろ」と後輩を脅し、クラスメイトのジェイデンと海に遊びに行く。そんな学園生活を妄想しながら観ていたら、全てが終わっていた。今週も節穴の観察眼だが、どうぞ召し上がれ。
第一印象の世界
今回の主役は、過去のバチェラー達と同様、ほぼほぼ一目惚れで行動していたのだろうと思う。長谷川惠一氏と体育館で楽しそうにじゃれつく様子を見ながら、「幸せやったらええんやで」と猫を愛でるような気持ちになった。バチェロレッテの表情と仕草がとにかく可愛い。
やたらと間延びした長谷川惠一氏の家族訪問エピソードは失神しそうに退屈だったが、「めでたし、めでたし」と幸せな気持ちにもなった。全作品中、これほどしょうもないシーズンもなかったが、これほど主役が幸せそうにしているシーズンもない。悩んでいる様子が一切ない。そんなハッピーオーラを皆で愛でようではないか。「ニャー」しか言わない猫だと思えば腹も立たない。
そうそう、退屈なときは「カエルの歌」を脳内輪唱するのもいいぞ。バチェロレッテ2なら3人まではいける。
正しい恋愛があるわけではない
私を含めて観客は、選ばれる側により感情移入するのか、主役に完璧さや正義を求めがちだ。「主役は果たして出演者の本質を見抜ける力量があるのか?」など、彼らの審美眼や、ルックスなどの属性だけで決断しない公平さを勝手に期待していたりする。しかし、どんな選び方をしようが、がっかりするのは自由だが、それを裁く権利など誰にもないのだ。
私が思うに、それぞれの初代とバチェラー2の小柳津林太郎氏が特殊だっただけで、残りは属性以外は極めて凡庸な主役達だ。彼らの共通点は、感受性が乏しく、他人に興味がなく、フィーリングで行動するところだ。興味がないので、人間性を引き出して論理的に相手を分析することもなければ、乏しい感性では自分の感情を言語化する習慣もなく、ほぼ第一印象で決めてしまう。予定調和の展開は退屈だが、主役達には別に落ち度もない。人類のほとんどがこれだし、以前にも述べたが、全てを主役任せにしてしまう制作の努力が人選を含めて足りていない。
そして、他人に興味がない彼らにとって、候補外とのデートは死ぬほど退屈だろうに、バチェロレッテは常時笑顔でよく耐えたとも言える。自己陶酔・阿部大輔氏に対して微笑みかけられる自信が私にはない。
バチェロレッテは「よく知らないくせに決めつけられるのが嫌」と言っていたが、あの言葉はきっと観客にも向けられている。彼女はショーのなかで自分自身を見せるつもりなんてさらさらないし、対象が早期に定まって迷いもないので、終了後に彼だけを非公開でゆっくり深掘りしようと思っているのだろう。結論が出ているなら、男性陣の魅力を発掘して選択の整合性を欠くよりは、一貫した一途さの方が無難で収まりが良い。バチェロレッテ・シーズン1での単なる対話が、配信当時は「激詰めで怖い」とボロクソに叩かれていたことを覚えている視聴者も多いだろう。そんな危ない橋は渡れない。
お陰でショーはヤバい出来だが、彼女の幸福にとっては非常に省エネで合理的な選択である。まぁ、今後の方向性を占うバチェロレッテ2は、平坦に終えるだけでそれなりに意義があったし、こういう回もあっていいんじゃないか。おそらく視聴者は離れるし、もう、「ラブ・イズ・ブラインド」に勝てないだろうけど。
フィーリングで恋をする
一応17人全員のレビューを書き起こしている私だが、実際に並列して出会った場合、ぶっちゃけ半数以上は興味が持てないし、初回でかなり絞り込む。これはルッキズムとは似て非なる、その人の存在感と直観を使った総合判断で、経験を積むほど正確で早い。
それなりに成熟した私は、相手の知性や感性にエロスを感じるので、対話なしに相手を選ぶことがあまりないが、かつての幼い私が、手を繋ぐだけで全身が脈打つような感受性を持っていた頃、恋する相手は違った。
かれこれ500年ぐらい前になるだろうか。兄ズから英才教育を受けていた私は、小学校に上がる頃には蛇を鷲掴みして振り回せるぐらいには野生化していたが、14歳になったとき「カブトムシじゃなくて、チョコレートをあげたい」と思える男子に初めて出会った。クラスメイトの彼が輝いて見えたのは決して丸坊主のせいだけではない。言葉を交わすまでもなく互いに惹かれ、これが初めて「恋」を理解した瞬間だった。二人で話すと何もかもが楽しくて笑い転げ、見つめ合うとどうしようもなく恥ずかしかった。本当に稀だが、好みや理性をすっ飛ばして強烈に直観で惹かれる出会いはある。だから、バチェロレッテが何も深掘りせずに心を決めたことは、そう不思議なことだとも思わない。
そして、たいていこういう出会いを果たす相手には、心がクスクスと弾む。自分がまるで子供に返ったようにリラックスしてよく笑うし、ふざけたり、からかったりもする。相手に対する恐れがなく、気づいたときには心が開いていて、鎧を意識することさえない。
キラキラのジェイデン
再開のぎこちなさはありつつも、海辺で話す二人はいい感じだ。空の父に手紙を読むというジェイデン氏の感性が素敵だ。彼がいつも海を隔てた母へ、空の父へ思いを馳せ、じっくりと己と対話する習慣があることを示している。
ローズセレモニーでジェイデン氏が残した「大丈夫。下を向かずに前を向いて」という言葉は、彼の温かさと強さそのもので、とても素敵だった。
と同時に、素数を数えていたサイコパス味のある私は、首を傾げる方向が逆だったらあの画が撮れていないことをじっと考えていた。左に顔を傾けることが多いバチェロレッテに対して、ローズを置く台を右に配置したことが導線となった自然の成り行きなのか、はたまた動きをつけているのか、カメラを意識して動ける主役のセンスのいずれだろうと考えていた。わからんが、今までで一番いい画だったのは間違いない。色彩も感情も何もかもが美しい。
正直、手紙の演出ばかりでくどいとも思ったが、スタジオの手紙もまた良かった。今回、彼以外にまともな日本語を話す人物がいないが、その空虚さを埋めるように多発された結果、ジェイデン氏の一人勝ちプロモーションのようになって主役が霞んでしまっている。
黒子マクファー
バスケコート横のベンチで話す二人には距離があり、バチェロレッテの上半身が少しのけぞって逃げている。心理的な距離はジェイデン氏よりも遠く感じる。
個人的には、男性陣はバチェロレッテの前でデレてはいるが、特別な愛おしさや情熱が感じられない。epi06までのエピソードで、向き合わない主役に対して途方に暮れていそうな男性もチラホラ散見され、色々と大丈夫かと思うことがあった。マクファーレン氏の情熱はちょっと判断がつかず、やはり「執着」という言葉が私にはしっくりくる。
彼はepi02のボート競技で、「運動会みたいになって、美紀ちゃんがひとりでポツンとかわいそう」と誰もが流してしまいそうな状況にさえ気づいていた。いじめられていたという過去の経験から来ているのか、彼は最初から、主役の居心地への配慮とショーの成立に気を回している。そんな彼は、会話がことごとく上滑りする空々しいショーで、周りをけしかけて盛り上げ、「誰にも情熱的に愛されない美紀ちゃん」を作り出さないために、自ら熱を作り出し愛を表現し続けたのではないだろうか。どことなく彼からは、演出側の意図を組んで動いているような優しさを感じる。
そんな彼のお母様とのビデオ対面において、バチェロレッテは彼のことを「健気」と表現した。この文脈においては、薄っすらとした見下しと彼に対する突き放しを感じ、今回のショーで一番引っかかりを覚える言葉だった。
法螺貝を抱く男
本編以上につまらないトークSPだったが、唯一の救いは愛し子のように法螺貝を抱く法螺貝の姿だ。法螺貝は何をしていても可愛い。音色は私でも分かるくらい下手くそだったが、阿部ラップのオチとしては最高のタイミングだ。あれがなければ、スタジオの空気はお通夜になっていただろう。
それにしても、ファイアーと、阿部ラップのくだりは何を見せられているんだろうという気持ちになり、ひたすら苦痛であった。
岡村氏の贔屓でやたらと阿部サプライズの尺が長いが、需要なんかないぞ。阿部サプライズはサプライズをする自分、喜ばせようとする自分が好きなだけで、その世界にはいつも相手が不在だ。きっとサプライズを考えている時間が楽しくて仕方ないのだろうが、ああいうテンションで来られたら憐れみを感じて、愛想笑いで受け入れざるを得ない。
サプライズをしがちな者は、バチェロレッテの見分けのつかない笑顔を見て、よくよく考えたほうがいい。嬉しくても嬉しくなくても、相手が盛り上がり過ぎているので、たいていこういう反応しかできないのだ。
モテる男
やたら肉体美を誇ったり、サプライズをかます男性を見ながら、女性は男性と違って興味がない相手の裸にそこまで反応しないし、相手の喜びを探さないサプライズはゴミ以下なんだけどなぁと感じていた。本当にモテるのはどんな男性だろうか。
内閣府から出された「令和4年版男女共同参画白書」によると、20代男性の4割がデートをしたことがないらしく、日本の未来は相当暗い。
現在にわかに話題になっているが、旧統一教会や日本会議などの宗教右派に阻まれ、日本ではまともな性教育・人権教育がなされていない。(詳細は下記リンク)
そんな女性たちが、諸外国では一般的なインプラントなどの避妊法や、アフターピル、経口中絶薬などの選択肢を知らされないまま無防備に過ごし、エロ動画しか見たことのないような未熟な男性と出会うと、最悪のマッチングに地獄を見るだろうなと思う。
女性用風俗
女性にもインスタントな夜が欲しい時はあるが、身体構造上、様々な危険が伴う。HPVワクチン接種、性病チェック、サイズ、持続、性癖などのステータスを加味し、Uberのように相互評価システムのあるマッチングアプリがあれば爆発的にヒットするだろうなと思うことがある。そして、この考えが究極に行き着いた先が、現在市場を急拡大している女性用風俗(いわゆる本番行為がない、性感マッサージ的なもの)と言える。是非はともかく、女性は安全で快適な性を買える時代になりつつある。女性を客体化して粗末に扱うような、有害な男性はもう必要とされていないのだ。
男女ともに性的退却が進んでいると指摘されて久しいが、特に女性達は性愛にもう期待していないのだと思う。生きていれば、一度くらい女性の身体や感情への配慮が足りないカスに当たって落胆したことがあるだろうし、成熟した男性に出会うこと自体が本当に難しい。安全で確実なものがあるなら、割り切って買おうとするのは当然の帰着だとも思う。女性用風俗は精神的なケアを求める利用者が圧倒的に多いそうだが、他にも「男性を買う」というある種の意趣返し、一度は下手くそに点数をつけてやりたいという怨念もあるのかもしれない。知らんけど。
女性用風俗事業者の記事を読んでいると、女性への接客売上と、セラピスト希望の男性を研修する受講料売上の両輪で回していることが多いようだ。勘違いした自称ナンパ師からの応募も多いらしく、この筋から金を巻き上げているというのは皮肉で面白い話だ。女性用風俗は駄犬の再教育施設のような側面があるのかもしれない。
話が大きくそれたが、私は別に女性用風俗をすすめようと記事を書いているわけではない。言いたいのは、男性は危機感を持ったほうが良いということだ。互いの輪郭が溶けあうような深い性愛を経験しようと思えば、相手の心を開かないことには話にならない。それには筋肉でもサプライズでもなく、女性への理解を深める必要があるのだが、現実はもう、肉体的欲求を満たす相手としても、精神的安らぎを得る相手としても、女性用風俗のセラピストが求められつつある。
モテたいなら・・・
男性がモテたいと思ったなら、まずは女性が社会的に置かれている状況を理解し、身体と感情への理解を深めることだろう。
私が男性と女性で大きく違うなと感じるのは、以前も書いたが言語能力だ。特に、感情を言語化する機会が男性は圧倒的に少ない。これは、少年漫画と少女漫画を読み比べると特に顕著で、少女漫画には必ずある心理描写が少年漫画には少ない。本当の意味で女性にモテたいと思うなら、女性がどんなロマンスを夢見て、どんな男性を求めているか、少女漫画を読んでみるのがオススメだ。気になる女性にオススメ作品を教えてもらうのもいいかもしれない。
一般的な少女漫画は、いきなり幼なじみに迫ったりしないし、いきなり脱ぎだしたりもしない。必ず心理的なやりとりが丁寧に描かれる。ヒロインは、ヒーローに唯一の「面白い女」として見つけてもらうことに狂喜しているし、ヒーローはたいていヒロインの些細な気持ちの変化や行動に気づく。女性が男性に気づいてほしい部分や、男性のどんな行動を嬉しく感じているかを知ることができるだろう。
オススメの少女漫画を一冊と言われると難しいが、田村由美の「7SEEDS」は、設定は突飛だがエンタメ性が高く、男性の強さのバリエーションも豊かで読みやすいだろうと思う。
また、男女の違いを理解するには、清田隆之さんの著書を読んでみるのもいい。同じ男性が書いているので、抵抗も少なく理解しやすいはずだ。
そして最後に、性教育を発信しているYoutuberを紹介しようと思う。助産師でもあるシオリーヌさんを知っているだけでも、他の男性と差別化できるだろう。彼女が作ったドラマも分かりやすい描写があるので、男女とも互いの理解を深めるために一度視聴してみるのはどうだろうか。
参考)宗教右派と自民党の関係
期間限定で無料公開になっているので、この機会に視聴してみてほしい。