人生

40代おひとりさまと、家族の関係

40代を超え、家族との関係も少しずつ変わってきたので、その辺りを一度まとめておきたい。当たり前だが、家族との関係も少しずつだが変わっていく。時間は、難しい性格を変え、その連鎖反応が他の有り様をも変えていく。

家族との関係は、良いことも悪いこともあり、いずれも人生に大きな影響を与えるものだ。仮に今、その関係性に疲れてしまっているとしたら、一度距離を置けばいい。数年後に再び出会いなおせば、違った一面が見られるかもしれない。

幼少期~青春

私の場合、父親はアスペルガー、母親は自己陶酔がきつく、兄弟は個人主義。家族の体裁は整っていたが、末っ子の私は幼いころから妙な緊張感を持ち、家庭では道化を演じることも多かった。私が気づかれないように、不穏な空気をごまかした回数は誰よりも多いと思う。

私は、家族の足音に耳を澄ませ、その機嫌を判断していた。そのため、生来の内向型に神経質な部分が加わり、学校や人の集まる場所での雑音が特に苦痛であった。これは今でもあまり変わらない。

幼少の頃から、本は好きだったし、ひとりで作業をするのも好きだったのだが、イマイチ集中力&やり遂げる力のない人間だなぁと感じてもいた。今思い返してみると、家族や周囲の雑音にかなり影響を受け、集中を阻害されていたようにも感じる。

末っ子ということもあり、家族からは構われてきた。それは悪い気はしないものの、よく邪魔されるなぁという印象で、正直煩わしくもあった。

加えて、音に対する敏感さは、就学とともにひどくなったので、学校生活は順応するだけで精一杯。ストレスそのものであった。

教室の中では、「なぜ皆あんなに騒いでいるんだろう・・・」「うるさい・・・よく喋るなぁ・・・」と感じ、まるで無秩序な動物園に放り込まれたような感覚だった。雑多な空気より、一方通行の授業の方が心地よく、頭が暇になればよく空想していた。

青年期

この頃になると、父親と母親が一般からかなりズレていると感じ、かなりの葛藤があった。父は私に無関心で、母は自分の心の傷や問題だけを大事に大事に抱きしめ、やはり私に無関心であった。

象徴的なエピソードがある。漠然と「うちの父親はおかしい」と感じていたが、言語化できず、誰の理解も共感も得られていなかった頃だ。

ある日、家の修繕で訪れた工務店の従業員相手に、父親が満面の笑顔で会話しているのを目撃した。私は戦慄で凍りついた。「父の笑顔を初めてみた・・・」

私は自分で気づいていなかった。父の笑顔を知らなかったことを。その事実に傷つき、打ちのめされてしまった。そこから父親への思いと葛藤の歴史が始まり、アスペルガーということを理解して一旦の落ち着きを得るまで、実に10年以上かかっている。。。(これはまた別の機会にまとめたい)

そして今

退職し、兄に子供が生まれた頃から、父はすっかり好々爺になってしまった。今思えば、アスペルガーの父は、対人関係に苦労しただろうし、仕事のストレスは相当だったのだと分かる。

アスペルガーは人をイライラさせる天才だが、ハートがいいという意味でも天才的だ。彼らには悪意がない。。。悪意がないから行動が直らないという側面もあるが、それも実はこちら側の都合であるだけだったりする。

つまり、アスペルガーから対人のストレスを除いたとき、彼らの中には純粋な好意だけが残る。その眩しさに、かつての葛藤が溶けていくのを感じた。「わかった。もういい」と思えたのだ。

また、そんな父の変化に反応するように、母親の心の有り様も変わってきたように思う。理屈や常識では分かりあえない夫婦・家族だったが、悪気のない純粋な人間を前に、「あらゆる不安を持たなくていい」という福音もまた大きいのだ。それは「信頼」という言葉に近いだろうか。

家族との関係は、人生に大きな影響を与える。一番分かってほしいのに、そこまで到達しにくいのが家族だ。けれど知っていてほしい。人はゆっくりと成長する。再び出会う時期が来るまで、あなたは一度離れても構わない。自分の人生に没頭する時期は絶対に必要だ。それでいい。

うまくいかないからと、全てを捨てなくていい。放っておけばいいだけだ。絶望のなかに希望がないわけではない。