花まんま
はじめに
あらすじも台詞も、結末さえ頭に入っているのに、繰り返し観る映画があるだろうか。窓を開けて新鮮な空気を取り込むような、そんな儀式的な映画。私にとって「花まんま」はそのひとつ。
昨今、社会情勢がますます厳しく、この先どうなるか分からない不安な日々を過ごしている。目を背けて見ないようにする方が怖いので、しんどくても現実を直視するしかない。
中東情勢の悪化と国内の悪政に日々消耗していくのとは反対に、身体感覚だけは冴え渡っていくようだ。奥深い部分で危機を感じとっているのか、完全にはリラックスできない夜が続いている。
外に出ると、排気ガスの臭いや車の振動音の粒を事細かく吸収しようとしている自分に驚く。街の様子や人々の表情の気配をずっと追い続け、そんな風に身体感覚を全部使って変化の兆しを感じ取ろうとする自分にとても疲れている。緊張がうまく制御できず、最近はエンタメに集中することも難しく楽しめなくなってきた。
程度の差はあれ、似たような状態の方はたくさんいると思うので、今日は私からお見舞い代わりの処方箋だ。楽しむなら前提知識はゼロがいい。予告編も見ない方がいい。損はさせないので、まっさらな状態で是非視聴してみてほしい。以下はネタバレありなので、視聴後に気が向いたらまた戻ってきてほしい。では、良いトリップを!
掛け合い
この映画の一番の魅力は空気感だろう。時折笑っていいのか悪いのか、予測がつくけどやっぱり笑ってしまうシーンの数々は何度もおかわりしたくなる。小気味よい展開は脚本の力も大きいが、一気に引き込まれたのはやはり会話の間だ。凄い。どれだけの準備を、その関係性を含めてしたのだろうか。
私は忘れている場合を除いて、同じ小説を2度は読まずに手放すことが多いのだが、珍しく宮部みゆきの「ステップファザー・ステップ」はたまに読み返す。双子の男の子達の掛け合いがべらぼうに可愛くて面白いのだ。花まんまとも通じるところがある。私自身が関西の住人だからかもしれないが、舌足らずな子供が関西弁を繰り出す様子は終始微笑ましくニヤニヤが止まらない。
絶妙な間で行われる掛け合いとわちゃわちゃ。この映画の端から端まで、ポカポカとクスクスが詰まっている。私はどうやらこういうシーンに弱いらしい。
才能至上主義
少し話が変わるが、私は鈴木亮平のファンだ。彼の才能はあまりに圧倒的で目が離せない。そんなこんなで、私にとって役者の評価は才能至上主義だ。長いこと面食いをやっているので、ビジュアルが好みなだけの役者はたくさんいるのだが、映画への寄与という意味では評価していないしファンにもならない。演技が下手な奴は邪魔なので「去ね」とさえ思っている。
花まんまの凄いところは、マジで演技が下手な奴が一人も出てこないところじゃないだろうか。いやぁ、観やすかったぁ!キツイのは結婚式のバタフライシーンぐらいで、あれは演技というより、知らない他人の結婚式の素人の余興とはあそこまでヤバいことになるのかと、式場で働く人々はどうやってあの空気感に耐えているのだろうかと同情せずにはいられない。
全編を通して鈴木亮平の演技は見事だが、彼の凄さを再確認したのは、結婚式のシーンで自分の輝きを調整していたところだ。カメラワークの影響ももちろんあるが、入場を見守るシーンで既に影が薄い。父親役にスポットが当たるように脇役に自然にスイッチしているのだ。特に誓いのキスシーンで俯いていたのには気持ちをごっそり持っていかれてしまった。背後に見える例の家族との対比が鮮やかで、2つの家族の歴史と感情が、似たようなところがありながらも、異なる層になっていることを象徴的に示した素晴らしいシーンだったと思う。
同じことができる俳優に町田啓太がいる。彼は圧倒的な美貌を持っているが私の面食いセンサーが反応したことはなかった。10DANCEを観るまでは。あの美貌はどうしたって目立ってしまうはずなのだが、脇役に徹して光を自ら調節していたのであろう、私は彼を長らく発見しなかった。何度も観ていたはずなのに。それぐらい脚本に対する理解度が深い。とても大事な才能だと思うし、その頭の良さは監督にずっと愛されると思う。
酒向 芳(さこう よし)
名脇役ばかりの本作だったが、何と言ってもその代表は酒向芳の存在だ。重要で複雑な役を見事に演じていた。
フミ子からの花まんまを受け取るシーン、フミ子のなかに喜代美を見つけるシーンの表情の変化はもうコマ送りで見たいぐらいの仕上がりだ。本当に素晴らしかった。才能に乾杯。
式場で一緒に歩くシーン、記憶が消えたことに落胆しながらも感情を抑えて初めてフミ子と握手を交わすシーン、帰りの電車で夕日を受けながら引き出物を見つめるシーン。全て思い出せる。この映画で一番幅広い表情と演技が必要な役だったが、その全てをこうも完璧に演じてしまうとは。才能ある人はほんとカッコいい。